葛藤と混乱の中で一年の締めくくりを見る。執着と欲心をしばらく畳んでおいて、私より恵まれていない隣人に気を使う時だ。分け合うというのは、分配が均衡に行き届いていない社会の日陰に差す太陽のようなことだ。我々は分け合うことで、さらに幸せになり、さらに豊かになる。社会福祉共同募金会も昨日から誠金の募金活動に突入した。
我が社会はまだ「海苔巻きのお婆さんが寄付文化の命脈を受け継ぐ(海苔巻きを売って生計を立てるお婆さんがよく寄付していることから)」という言葉があるほど、ケチな寄付文化を持っている。「美しい財団」の調査によると、1年の寄付額は世帯当たり平均7万ウォン水準だ。米国は10世帯のうち9世帯が寄付をし、寄付額は平均620ドル(約60万ウォン)だ。所得水準を勘案しても、わが国はまだ寄付先進国ではない。
それでも胸の打たれる寄付を実践する人が多い。お金の代わりに時間や才能を提供するボランティアも増えている。私のものが豊かで分け合うのではなく、持たざる人の足りない部分を埋め合うために分け合うのだ。靴のお直しをして稼いだ1%を寄付する李チャンシク(本紙1日付けA1面報道)さんもそのようなケースだ。
米国のクリスチャン・サイエンス・モニター紙が最近紹介した「寄付の驚くべき真実」によると、1ドルの寄付は19ドルの収益を呼び込み、無形の社会統合の機能まで加えた社会的・経済的な効果はものすごいという。経済的な側面だけ見ても、寄付は素晴らしい投資なわけだ。ひいては、寄付は貧富の格差と社会の葛藤を和らげ、社会共同体の健康性を高める力の源泉である。
しかし、韓国社会には「もらうこと」を持たざる者の当然な権利のように思い、「与える側」に対して感謝しないムードがなくもない。正当でないやり方で富みを蓄積した人に対する否定的な認識が原因の一つであろうが、最近のように厳しい状況の中でも、分け合おうとする人や企業としては「分け合い」を諦めたくなるようなことだ。寄付者と寄付に対して尊敬し、感謝する社会が先進社会だ。
寄付は人を喜ばせることに先立って、自分を幸せにする。分け合えば幸せになったという人々の話が真実に満ちていることを我々は知っている。それがまさに寄付の持つ魔力である。






