農業分野で競争がほとんどなかった「ブルーオーション」に、新規開拓者の登場が続いている。若芽野菜を栽培して流通させる「コンガンナラ(健康の国という意)」と、キキョウから粉末、錠剤、キャンデーなどを生産して販売する「チャンセン(長生)キキョウ」は、単に農産物の生産に止まらず、加工・流通・マーケティングまで結合した農産物企業に成長した。プロ精神とアイデアを融合させれば、農業でも成功できることを証明した実例だ。
子供の頃、李栄春(イ・ヨンチュン)さん(49)は父親と一緒にどこかへ行くのが恥ずかしかった。当時、故郷の慶尚南道晋州市(キョンサンナムド・チンジュシ)では、父親の李聖鎬(イ・ソンホ)さん(75)は「キキョウ馬鹿」で通じていた。
父親の李さんは1954年23歳の時、キキョウ研究を始めた。しかし、平均寿命が3年のキキョウを死なせずに長持ちさせるのは簡単ではなかった。家計は苦しくなり、長男の栄春さんの高校登録金も遣り繰りできなかった。それでも諦めずに、智異山(チリサン)の谷間に分け入り、キキョウの栽培にのみ熱中した。結局、20年以上生きる長生キキョウの栽培に成功して、1991年に植物栽培法では国内最初の発明特許を受けるまでになる。
しかし、キキョウ加工工場を建てるために借りた28億ウォンにもなる借金の返済に苦労した。1997年、父親は三星(サムスン)航空(現三星テクウィン)の人事課長に在職していた栄春さんに助けを要請した。新聞配達をしながら学校を通った栄春さんは、高卒の学歴では珍しく課長にまで上がっていたが、父親の要請を断れ切れなかった。
リリーフ投手の格好で代表理事になった栄春さんは、キキョウの生産に航空機の生産方式(標準作業工程管理システム)を組み合わせて、1年で年間売上額を2400万ウォンから10億ウォンへ引き上げた。父親がキキョウ研究を始めて以来51年が経った05年、「長生キキョウ」は売上額53億ウォンの企業に生まれ変わった。父親の李さんも、今では「キキョウ博士」と呼ばれる。同行を恥ずかしがっていた息子は、父親にキキョウ研究院の院長になってもらった。
「食べる物がないわけではないのに、何で完全に育っていない若芽を食べるのか」
韓慶煕(ハン・ギョンヒ)さん(44)が03年末、「コンガンナラ」という看板を掲げて若芽野菜の事業を始めた時の反応は冷ややかだった。しかし、韓さんの意志は固かった。同氏は高級料理を飾る食用の花がほとんど捨てられることからアイデアを得た。若芽野菜が料理を飾る代案材料になれると確信した。ちょうど押し寄せた健康ブームも一役買った。
若芽野菜は農薬や化学処理がされていない種子を植えて、5〜10日ぐらい育ててから収穫した野菜。収穫が1日でも遅くなると、廃棄処分しなければならない。
04年8月、京畿道(キョンギド)農業技術院の推薦を受けて、新羅(シルラ)ホテルに抗がん成分のあるアマランス、ビート、ビタミンなど装飾用の若芽野菜を供給し始めた。今は7ヵ所の特級ホテルに若芽野菜を納品している。
韓さんは、「若芽野菜に対する認識がなくて、物乞いするようにホテル営業に専念した。若芽の爽やかさを丸ごと食べる気持ちを上流層にアピールしたのが成功の要因」と話した。
今はデパートで流通している食用若芽野菜と、ホテルに入る飾り用若芽野菜の売上げの割合は7対3ぐらい。ホテルへの納品で安定的な収入を得ている。韓さんは、高校卒業後の1983年、京畿道広州市(クァンジュシ)で農園を始めた。「どうすれば高い収益を得られるか」だけを悩んだ。今、コンガンナラの月間売上額は1億ウォンに上る。






