Go to contents

[オピニオン]故・李吉用記者

Posted December. 27, 2005 03:02,   

한국어

1936年8月9日、ベルリン五輪に出場した故・孫基禎(ソン・キジョン)選手がマラソンで金メダルを獲得した。2日後、東亜(トンア)日報は最初のニュースを伝えた。「感激、また感激…。ただ興奮のるつぼ。古代ギリシアでは、マラソン勝者を迎えるのに、城壁を崩し、門を新しく造ったという。われわれはすでに崩れた城ではあるが、新力と新心でわが勇士を迎え入れよう」。「新力」と「新心」は、抗日の意地表示だ。東亜日報は25日付で、故・孫選手の胸から日の丸を消した写真を載せた。体育部の故・李吉用(イ・キルヨン)記者と、調査部に務めていた故・青田・李象範(チョンジョン、イ・サンボム)画伯をはじめ10名が拘束され、東亜日報は1年近くも発行停止された。

◆故・李吉用記者は日本の捜査管たちに、「東亜日報は朝鮮民衆を対象に創刊された新聞であり、日の丸の出ている写真を載せるのは、朝鮮民衆から歓迎されないという東亜日報内の雰囲気を感知し、他の職員たちとともに日の丸を抹消した」と供述した。総督府秘密文書にも、「東亜日報は平素、民族意識を煽動する態度を持っており、機会あるごとに、非(日本)国民的行動に出る潜在意識があることが明白になった」と書かれてある。

◆日本の植民地時代最大の筆禍事件である「日の丸抹消事件」について、一部での歪曲が絶えない。故・李吉用記者個人の行為であって、東亜日報の抗日闘争とはみなせないとか、東亜日報に先立って他の新聞が先に日の丸を消したとかいうものだ。しかし、最近発見された故・李吉用記者の回顧録をみれば、このような主張も静かになるほかないだろう。同回顧録は1948年、モダン出版者が発行した「新聞記者手帳」に載っている。

◆彼は回顧録で、「東亜日報で日の丸抹消は日常茶飯事だった」と述懐した。「ビルの落成式や、工事の完成式の写真には、かならず日の丸が正面にあるが、これを消して載せたことは数えきれないほどあった」というのだ。孫基禎の写真の他にも、日の丸抹消が多かったことによって、東亜日報の反日的な雰囲気と民族意識を伝えてくれる証言だ。昨日はちょうど、彼を追慕する「第17回李吉用体育記者賞」授賞式があった。

洪賛植(ホン・チャンシク)論説委員 chansik@donga.com