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韓国系のオグボーン新任広報官が韓国に赴任

韓国系のオグボーン新任広報官が韓国に赴任

Posted September. 30, 2005 08:12,   

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「今日は、彼が『ノーコメント』と言わない唯一の日になるでしょう」

ダン・キュー・ワシントン在韓米大使館広報参事官は26日、ソウルのウェスティン朝鮮ホテルで開かれた歓迎レセプションで、新任のロバート・オグボーン(46)在韓米大使館広報官を紹介し、このようなジョークを言った。

米大使館の公式的な「口」にあたる広報官は、扱う懸案のぶんだけ複雑で微妙なポスト。容易に情報の扉が開かないため、韓国記者から度々不満が出たりする。そのような職責を務めることになったオグボーン広報官は同日、壇上に上がって「ノーコメント」なしに5分ほど、流ちょうに赴任の所感を述べた。それも韓国語で。

韓国人の容貌で韓国語まで「できる」米大使館スポークスマン。舞台を下りた彼に韓国語の実力をほめたら、彼は首を左右に振った。

「3時間も汗を流して猛練習しました。秘書が翻訳してくれた韓国語を何度も練習したんです。まだ、韓国語で会話するだけの実力はありません」

同日のレセプションに出席した約150人の韓国人は、彼に熱い拍手を送った。ただ彼の容貌のためではなく、46年前にソウルで生まれ、すぐに米国家庭に養子に送られた彼が、米国の外交官として成長し、再びこの地を踏んだことに惜しみない激励を送ったのだ。行事が終わるまで、彼と話をしようとする出席者が後を断たなかった。

レセプションに集まった記者の質問は、米大使館公報システムの変化に集中した。韓国系の彼なら、より韓国に密着した公報活動をするだろうという期待が高い証拠だ。彼は、このような期待を意識するかのように、「米大使館の『壁』が高いという認識がまだ残っていることは事実」としながら、「韓国のメディアと頻繁に会おうと思う」と話した。

職業外交官のオグボーン広報官は、今回が2度目の韓国勤務。外交官になって初めての赴任地として1988年に韓国を訪れ、5年間、米大使館副問情官や大邱(テグ)米文化院長を務めた。

彼は、「以前より重責を担うが、心には余裕がある」と話した。初めての韓国勤務当時、複雑な韓米懸案が多かっただけでなく、彼には生みの親を探さなければならないという個人的な課題もあった。

オグボーン広報官の韓国名は、ウ・チャンジェ。当時彼は、丹陽(タンヤン)禹氏の宗親会にまで出席して、生みの親を探した。1993年に韓国を離れる直前、彼のルーツ探しの努力がマスコミに報じられ、多くの情報提供者が現れた。

結局、生みの親に会ったのだろうか。彼は首を横に振った。

「探し出せなかった。すでに亡くなったのかも知れない」

彼は、もう両親を探すことに未練がないように見えた。

同日の行事には、ベトナム系の彼の夫人、トゥハン女史も参加した。彼とジョージタウン大学院の同窓でもある彼女は、結婚直後、彼とともに初めて韓国の地を踏んだ。オグボーン広報官の親探しの努力を横で見守りながら、一緒に泣き、笑った彼女は、「私たち夫婦は、エジプトのカイロやベトナムなどの赴任地を経ながらも、『心の故郷』である韓国を決して忘れなかった」と話した。

オグボーン広報官は多くの本を出版した著作家でもある。すでに中学2年生の時に、初の習作小説を発表した彼は、韓国勤務時代に「母の国での時間——ロバート・オグボーンのエッセイ、ウ・チァンジェの話」というエッセイ集をはじめ、2冊の本を出している。彼が文章を書くことは、外交官生活でたまったストレスを解消する手段であると同時に、養子としての自分のアイデンティティを探す過程でもある。今回の韓国勤務の期間中、彼がまたどのような作品を生み出すか、期待される。



mickey@donga.com