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[オピニオン]首相公館

Posted August. 16, 2005 03:09,   

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ソウル鍾路区三清洞(チョンログ・サムチョンドン)首相公館。大統領府から車で5分のここには、首相だけが暮らしたわけではない。1979年10月、朴正煕(パク・ジョンヒ)大統領逝去後、いきなり大任を受け継いだ崔圭夏(チェ・ギュハ)元大統領がかなりの期間暮らした。その年、12・12クーデターを起こした全斗換(チョン・ドゥファン)保安司令官(当時)ら新軍部が、盧載鉉(ノ・ジェヒョン)国防長官を先に立たせ、鄭昇和(チョン・スンファ)陸軍参謀総長連行に対する大統領の裁可を得た場所もまさにここである。

◆朝鮮時代中期、ここには太和宮(テファグン)があったが、大韓帝国の末、高宗(コジョン)が軍部大臣を務めた李允用(イ・ユンヨン)に下賜した。以後、明成(ミョンソン)皇后家であるミン・ギュシクの自宅、京城(キョンソン)電気株式会社の社屋などを経て、1948年政府樹立直後、しばらく国会議長の公館として使われた。首相公館になったのは、1961年宋堯讚(ソン・ヨチャン)内閣首班が首相級としてここで執務してからだ。近くに北岳(ブクアク)山と三清公園があって、風景が美しい。朝鮮成宗(ソンジョン)時代の学者である成俔(ソン・ヒョン)は、ソウルでもっとも美しい場所としてここを挙げたという。

◆しかし、敷地が美しいからといって、住む人の心まできれいになるわけではなさそうだ。公館で行われる政府与党間協議や記者懇談会などで李海瓚(イ・ヘチャン)首相がしばしば不適切な言葉を口にしているからだ。最近の記者懇談会で、李首相は「現在の市・道知事の中には大統領になれるような人物がいない。政治的に私は上手であり、孫鶴圭(ソン・ハクギュ)京畿道(キョンギド)知事は一枚下である」と言って、世論の非難を浴びた。

◆そんな李首相がまたも、聞こえの悪い言葉を口にした。8・15民族大祝典に参加した北朝鮮代表団を招請した、晩餐会の席であった。李首相は、「20年間、民主化闘争をしているうちに、軍部独裁を清算しない限りは統一が実現できないということに気づいた。首相公館は民主化闘争の結果として得たものだ」と述べた。してみると、歴代首相はみんな首相公館を不法占拠したとでも言うのだろうか。多くの人が犠牲になり、国民が力を合わせて成し遂げた民主化を、あたかも自分たちのみの業績であるかのように言う李首相の傲慢が公館をさらに汚染しているのではないだろうか。

宋煐彦(ソン・ヨンオン)論説委員 youngeon@donga.com