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李光宰氏が指を切った理由は? 釈明にも強まる疑問

李光宰氏が指を切った理由は? 釈明にも強まる疑問

Posted May. 19, 2005 23:09,   

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ヨルリン・ウリ党の李光宰(イ・クァンジェ)議員が19日、自分のホームページに、「1980年代の学生運動の同志を裏切らないのために」、指を切って血書を書いたと説明したが、内容そのものに矛盾と疑問が少なくないと指摘されている。

李議員はまた、03年に東亜(トンア)日報の取材チームに対して、「工場で機械を扱っていた時に指を切断した」と嘘をついた理由については、説明すらしなかった。

▲嘘を認める?〓李議員は同日、ホームページに掲載した「私の人生の傷を明らかにする」というタイトルの文で、「同士の焼身自殺や拷問の知らせが相次いだある日、指を切断して、太極旗(テグクキ)に血書を書いた」と述べた。

しかし、03年4月に本紙の取材チームに対して、「仁川(インチョン)富平(プピョン)のある家内鋳物工場で働いていた時に事故で切断した」と主張した理由については、口をつぐんだ。

ただ李議員は、19日の補佐陣会議で、「03年に大統領国政状況室長になるや、マスコミが私の過去をほじくり返したが、指を切った当時の状況をいちいち説明するのが難しい状況だった」と話したという。李議員側の関係者は、「李議員が当時、自分に対するマスコミの取材をひとまず避けたかったようだ」と話した。

これと関連して、ウリ党の関係者たちは、「李議員が03年当時、指を切った工場があった所だといって、取材記者を富平まで連れて行くなど『嘘のショー』をしたことについて、説明が必要ではないか」という反応を見せている。

▲「時代の傷」とは?〓李議員は説明文で、拷問と焼身自殺があった当時の状況を長く説明し、「学生運動をしていた私にとって、軍入隊自体は恐ろしいことではなかった」と主張した。

しかし彼は、「軍に行けば直ちに保安司に連れて行かれるだろうし、拷問に耐えられず同志の名前を話すことになれば、同志が捕まる状況だった。裏切りの記憶を持っては、永遠に正常な人間として生きることができないと思った」と話した。

軍に入隊した場合、学生運動の同志を裏切ることが恐ろしかったという話や、李議員の1986年当時の実際の行動は、これとは矛盾する点がある。

李議員は1986年春の指を切断して間もない5月28日、江原道春川(カンウォンド、チュンチョン)の入営部隊に入所したが、指の切断を理由に兵役免除の判定を受け、帰宅処分された。「軍へ行くと直ちに保安司に連れて行かれる」ことを心配して指を切断したというなら、なぜ軍に入所したのかという疑問が提起される。

李議員は、03年の本紙取材チームに対して、「指があっても、国家保安法の主導者だったため、検挙されれば監獄に送られる身だった。軍忌避を目的に指を切断する理由はない」と主張した。しかし、「指名手配中」であったのが事実なら、検挙を分かっていながら入所した理由が釈然としない。

▲血書の実体〓李議員は、「太極旗に血書を書いた。『絶対に主張を変えない』。その血のついた太極旗は、梨花(イファ)女子大学に通っていたある先輩に渡した」と説明した。

しかし、血書を書くために、敢えて右手の人差し指を切ったということは、納得できないという指摘が多い。血書を書くためなら、敢えて指を骨まで切る必要がない。

また指を切断するなら、特別な道具やすぐに手術ができる準備をしなければならないというのが、医療専門家の見解だ。指を切断すれば出血がひどいため、血書を書くこと自体が物理的に容易ではないという。



yongari@donga.com