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これからは「マ・ニサン」と呼んで

Posted April. 29, 2005 23:12,   

한국어

シン・ウィソン、李城南(イ・ソンナム)、そしてマ・ニサン。

セルビア・モンテネグロ出身である「風の息子」マニチ(32・仁川ユナイテッド)が「マ・ニサン」と言う名前の韓国人として生まれ変わる。

プロサッカーの仁川ユナイテッドは29日、「マニチの帰化申請が受け入れられ、大韓民国の国籍を取得したことを知らせる通知書をもらった」と発表した。これでマニチは、00年シン・ウィソン(シャリチェプ・FCソウル)、03年李城南(デニス・城南一和・以上ロシア出身)、04年李サビク(サビク・城南一和・クロアティア)に続いて、サッカー選手では4人目の帰化選手になった。

マニチは今後6カ月以内に、セルビア・モンテネグロ大使館に国籍放棄申込書を提出すれば、帰化による法的手続きが終了する。仁川ユナイテッドは江華島(カンファド)にある摩尼山(マニサン)がマニチの名前と似ているという点に着眼し、彼に「マ・ニサン」という韓国名を付けた。

外国人が帰化するためには、成人で5年以上国内に居住していなければならず、生計能力を持っていなければならない。マニチは8シーズン、Kリーグで活躍していて、帰化に必要な条件は充足した状態。

マニチの帰化は1996年釜山大宇(プサン・デウ)時代、彼をKリーグに迎え入れたアン・ジョンボク(当時大宇団長)仁川団長の力が大きかった。日頃「兄貴分」として頼りにしていたアン団長に「8年も韓国で住んだのだから、もう韓国人になってもいいのではないか」と言われて、キムチと味噌汁が好物で、韓国に愛情の深かったマニチも快く帰化を決心した。妻のマヤ(33)さんと3人の娘(ナタリア・12、カタリナ・9、アレックサンドラ・7)も、すっかり韓国に馴染んだらしい。

マニチは1996年に韓国へ来て、8シーズンの間194試合に出場し、60ゴール36アシストを記録中だ。1997年には、釜山大宇を全冠王に導いた。マニチの帰化で、仁川は外国人選手をもう一人選ぶことができ、戦力運用でも余裕が持てるようになった。



yjongk@donga.com