1990年代末、在米韓国人K氏は、中南米のある小国政府と秘密の事業を推進した。この国に北朝鮮の農業移民数百世帯を移住させるというのが事業の骨子だった。表向きには農業移民だが、実際の内容は「北朝鮮の急変事態の際の指導層の疎開計画」だった。金泳三(キム・ヨンサム)政府時代、南北間の影の伝令の役割を務めたというK氏は、当時このことについて「実現の可能性が十分にある」と主張した。米国市民権者である彼には、事業を推進するための前提条件があった。米政府の暗黙の同意か幇助がそれだった。
◆その後この事業がどうなったかは分からない。2000年の南北首脳会談以降、K氏は北朝鮮と関連するすべての仕事から手を引いた。しかし同計画の必要性に対して熱弁を吐いたK氏の姿が今も目に浮ぶ。「急変事態が発生した場合、北朝鮮指導部に最後の退路を残してこそ、韓半島の不安定な状況を少しでも和らげることができる」というのが彼の論理だった。当時北朝鮮の苦しい事情を考えるなら、それなりに説得力のある主張だった。
◆長期独裁体制が崩れる前に現れる兆候が、指導層の離脱である。北朝鮮の場合、このような現象は1990年代後半にすでに現われ始めた。金正日(キム・ジョンイル)総書記の妻の兄である成恵琅(ソン・ヘラン)の西側への脱出(1996年)、黄長鎏(ファン・ジャンヨプ)元労働党書記の韓国亡命(1997年)が代表的な例だ。この他に張承吉(チャン・スンギル)元エジプト駐在大使(1997年)など、北朝鮮外交官の亡命が続いた。特記すべきは、トップ情報を持った大物であるほど、米国を亡命地に選ぶ場合が多いという点だ。確認が難しい事案の性格上、知られているよりも多くの大物亡命者があり得るという点も、念頭に留めておくべきである。
◆一昨日、日本のマスコミが「呉克烈(オ・グクリョル)労働党作戦部長の長男が米国に亡命した可能性がある」と報道した。昨年「キル・ジェギョン副部長の米国亡命」の誤報騒ぎのようにハプニングに終わることもあり得るが、このようなうわさが絶えないこと自体が、北朝鮮体制が脆弱になったという証拠ではなかろうか。「北朝鮮崩壊不可論」に立脚して対北政策を推進する韓国政府関係者たちの「信念」は、果してどれほど信じられるのだろうか。
宋文弘(ソン・ムンホン)論説委員songmh@donga.com






