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「黄金イシモチ」踊っていた法聖浦

Posted March. 24, 2004 23:18,   

全羅南道(チョンラナムド)北端の霊光郡(ヨングァングン)にある法聖浦(ボプソンポ)前の七山(チルサン)沖合。一山(イルサン)から七山まで山となっている七つの島が連なっている海であることから、こうした名が付けられた。1970年代中盤には穀雨のには北上するイシモチの群れを追うために慌しかった所だ。

魚の棲息環境の要は水温だ。小数点以下の小さな変化にも魚は敏感に反応する。地球温暖化で海水の温度が上昇し、七山沖合で産卵するために懐柔していたイシモチが方向を変えたのだ。それに済州島(チェジュド)東南方向の南シナ海まで船を向かわせて魚を捕ってしまう技術の成功で七山沖合のイシモチ漁獲量は激減するしかない。

それでも「イシモチの故郷」法聖浦にはまだ「霊光イシモチ」が過去の光栄を秘めているようだった。どこから捕ってきたイシモチなのか明確に分かることはできない。すべて七山沖合で捕ったイシモチではないことは明らかだが、それでもイシモチを養殖するという話はまだ聞いたことがないため、「自然産」であることを唯一の慰めに話であの有名な霊光イシモチの味を味わう。

法聖浦、その名前が尋常ではない。近くには百済(ペクジェ)の初の仏教寺院で知られている仏甲寺(プルガプサ)があリ、少太山・朴重彬(ソテサン、パク・ジュンビン)並々ならぬ修業の末に悟りを得て圓佛𨥉を創建した大宗師(テジョンサ、1891〜1943)がその辺りで生まれ、悟りの場もここであったのも、その名前とまったく無縁ではないだろう。

そうだ。中国の東秦から百済に渡ってきて仏教を初めて伝えた(384年、枕流王1年)インドの摩羅難陀尊者が第一歩を踏み入れた所がまさにここ法聖浦だ。西海岸の中でもよりによってこちらに船を停泊した理由は何だろうか。明確な正解がないため、それなりに予想してみる。そのためには法聖浦がひと目で見下ろせる後ろ山にある名前のない八角亭が持って来いだ。

そこから見下ろした引潮の時の浦。「海の河回(ハフェ)村」とでも言えようか。谷から流れ出る水が水路に(深く窪んで引潮のときも水が溜まる水路)沿って、干潟を抱えるように丸々と流れながら右の海に流れ込むのが、確かにムルドイドン(河回の別称)だ。

海と遠く離れている谷の中に浦が発達することができたのはこの浜辺の溝のおかげだ。引潮の時も船が随時に出入りすることができたので、天から恵まれた水路と言えよう。

しかし、摩羅難陀尊者もこちらに安全に船を停泊することができたに違いない。漁船も随時に出入りしながら魚を捕ることができたため、浦が発達するしかない。

浦の外の表通りに出れば、霊光イシモチの販売店と食堂が軒を並べている。いわばイシモチ街だ。そこで、2万ウォンするイシモチ定食を味わった。それから霊光の新しい魅力を探して求めた。イシモチの泣き声が聞こえたという七山沖合の海の風景を車で走りながら車窓でも楽しむことができるペクス海岸道路だ。

法聖浦から海岸道路に向かう道。道はムルドリ水路に沿って海に向かう物静かな道路だ。谷を埋め尽くした干潟。しかし、海が見える頃には湾と呼んでもいいほど広い干潟に変わる。谷の中の干潟。これも西海岸どこにも見られない変わった風景だ。行く道に向うの山の下で工事中の仏教伝来記念館が見える。

やや小さい丘を曲がって行けば海。海岸道路はここから南方におよそ18kmつながる。走る車から右は海、左は山、下は絶壁。角を曲がる車を見たら海から聳えて空に上るようだ。「シー・ツー・スカイ(Sea to Sky)」。カナダ西部のバンクーバーから近いウィスラー&ブラッコムスキーリゾートに向かう道路わきの湖と似ている海をはめて走る素敵な道。海岸絶壁を走る時は米カリフォルニア州のモントレイ湾から南方のロサンゼルスに向かう海岸道路(101番ハイウェー)が思い出す。

ドライブ中に見た夕陽と落潮。赤い夕陽は各々山を成した七山の七兄弟島の間の海に落ちた。イシモチは去ったが、イシモチ群れが遊んだ七山沖合の素敵な風光をむしろドライブで取り戻したから、霊光の法聖浦を訪ねることはまだ残っている。



趙誠夏 summer@donga.com