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[オピニオン]「映像の時代」

Posted February. 26, 2004 00:04,   

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文字は遠く離れている人々の意思疎通のために誕生したと言うのが定説だ。絵や結び目を通じて知らせ伝えるということを繰り返しながら、とうとう文字が作られたということだ。人間は文字を使い始めてから、意味を圧縮して論理的に配列する訓練をするようになった。文字が人間の思想と学問を作り上げたのは当然だ。映画とテレビが出きる前までは「文字の時代」だったが、最近は「映像の時代」一辺倒へと変わってきた。

◆10代の若者たちにアイドルスターに熱狂する理由を聞いてみると、「何となく好きだ」という返事が最も多い。既成世代は具体的な説明を聞きたがるが、青少年たちは好き嫌いをイメージ全体で判断して、感覚的に対象に接近するのに慣れきっている。幼い時から映像媒体に接して来た若者たちが40、50代になった頃には、論理と概念のような思考の基本は、果たしてどうなっているであろうか。知りたくもあるし、心配でもある。外貌至上主義の広がりからもわかるように、外見が重んじられ、人間の内面的価値は無視される社会現象も、「読む文化」の疏外と「映像文化」の偏食に密接な関連がある。

◆鄭雲燦(チョン・ウンチャン)ソウル大総長は、来年から実施される同大学の論述試験で、古典100冊を選び、その中から問題を出題する方案を提示した。どれほど学生たちが本を読まなければ、こんな方法を使ってでも本を読ませようというアイデアが出るのだろうか。文化観光部が実施した昨年の文化郷愁実態調査でも、映画への偏食が著しかった。反面、他の文化分野は不振を免れなかった。韓国映画の飛躍的成長は当然祝うに値することだ。ただ、成功した分野の文化だけが目立って、現在成功していない分野だという理由で、陰に埋もれてしまうということがあってはならない。

◆「映像の時代」という大きな流れには、もはや逆らえないようだが、かと言って「読む文化」の效用価値が消え去ったと勘違いしてはならない。人文学が活気を帯びてこそ、応用学問に弾みがつくように、「読む文化」を含めた各文化分野がバランスよく発展してこそ、韓国映画もより発展できるのだ。映画に比べて振るわないでいる他の文化の従事者にも責任はある。しかし、理工系の危機は心配しても、人文学の危機と文化の危機には別に関心を見せない世相も問題なのは同じだ。

洪賛植(ホン・チャンシク)論説委員 chansik@donga.com