国会は先日、自ら国民の心から離れていった。処理しなければならない韓国—チリ自由貿易協定(FTA)批准同意案とイラクへの追加派兵同意案はそっちのけにして、徐清源(ソ・チョンウォン)議員の釈放決議案など、恥知らずな「割込み採決」を不意打ち的に強行した2月9日の国会は、私益集団であって、国の運命を担う国民の代表機関ではなくなっていた。
むき出しになった党利党略と、総選挙を睨んだ利己主義は、果たして彼らが「国利民福」のために悩み、努力する選良であるのだろうかと疑いたくなるほど、根源的な懐疑の念を抱かざるをえない。国益に顔を背け、国民を弄ぶ国会は、存在する理由を持たない。4月の総選挙は、腐敗した国会、無能な国会、国益に顔を背けた国会にとって、峻厳たる審判の場となるはずだ。
FTAの締結は世界的な流れである。できるだけ多くの国々とFTAを締結することが、国の経済に役立つという事実は、もはや逆らうことのできない現実的条件なのだ。その上、チリとの間の協定が発効したとしても、我々はFTA競争で最下位を争うという、嘆かわしい現状に置かれている。それでも国会は「採決のやり方」をめぐって争った挙句の末、国民の期待を無にしてしまった。国民が得たものといえば、地域利己主義に嵌まってしまい、大勢を読み取れない議員たちの偏った見方と、農村出身議員が中心となった反対派の前でたじたじとなっている指導部の無能ぶりを、はっきりと目撃したということだろう。
あれだけ大勢の議員がいながら、選挙で落選することがあっても国益を守り、正道を行く名乗り出るものは一人もいないのだろうか。一度や二度ではなく、三度も批准が漂流したとあっては、相手国には何と釈明し、日本やシンガポールとのFTA交渉はどのように進めていけば良いというのであろうか。また、どん底に落ちてしまった対外信頼は、いかに回復すべきであろうか。
イラク派兵案の処理ができなかったのも、無責任な行動にほかならない。政府が、韓米の同盟関係、世論の動向、現地の状況などを踏まえ、苦心の末にまとめた派兵案をめぐり、政界は様子をうかがうといった卑怯な行動で一貫した。国の命を受けてイラクに向わなければならない若き兵士たちは、国会議員を見てどう思うであろうか。
とりわけ、精神的な与党といわれるヨルリン・ウリ党の機会主義的な態度は、国民に対する裏切りも同然だ。
昨年12月に国会提出された派兵案を放置した末、本会議へ上程される間際になって追加的な党政協議会を求める彼らの頭の中に、国政に対するまともな青写真が入っていると信じる有権者が、果たしてどれほどいるだろうか。
徐議員の釈放案を、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領及び鄭東泳(チョン・ドンヨン)議長の(大統領候補を選ぶ)党内選挙資金疑惑に対する捜査決議案にそれとなく割り込ませたハンナラ党と民主党の行動もまた、その当為の可否を問う以前のものである。国民の目には、ハンナラ党と民主党の関係が、党利のためには結託しながら、国益と正義の前では別れるといった、奇形的な野合にしか映らないのだ。
政界は依然として責任の擦り合いをしながら、相手のせいにしている。それもそのはずで「FTAに反対した」、「イラク派兵に反対した」という、総選挙を睨んだキャッチフレーズしか頭にないでからであろう。ほとんどの国会議員の耳には、国益を考えよという国民の声が聞こえるはずがないのだ。自滅の道を選んでしまった16代国会の任期切れが間近であるということだけが救いである。有権者は、正しい大義と政治のためにも、厳正な主権の行使によって、国会を建て直おすという決意をする必要がある。






