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再び育てるサッカー選手の夢

Posted December. 30, 2003 22:41,   

「おい、ボールを早く渡せ」、「早く前へ出て守備するんだ」

26日、忠南天安市(チュンナム・チョンアンシ)ソンファン洞天安小学校の運動場。急に気温が下がった上、風まで吹いて体感温度は氷点下10度まで冷え込んだ。あちらこちらを走り回りながらボールを蹴るサッカー部員は21人。寒さのため頬が赤くなっていたが、子供たちの顔には明るい笑みが絶えなかった。「おい、そんな時はウィングの方にボールを渡すんだよ」。ソン・ヨンホ監督(43)の顔もいつも笑っていた。

天安小学校サッカー部が再び「夢」を蹴っている。サッカー部合宿所の火災事件で25人のうち9人が死亡し、15人が負傷するといった無惨な惨事を経験したのが3月26日。教育庁と大韓サッカー協会は事故直後、チームの解体を勧めたが遺族らが強く反対した。「死んだ子供たちのためにもまた立ち上げなければならない」と意志を集めたもの。

これで9月、天安幼少年サッカー教室で趣味としてサッカーをやっていた子供など25人を集めてサッカー部を再創団した。事故後、一つだけ変わったことがある。成績に拘らないで楽しむサッカーをやるということ。選手の顔の明るい笑みもそのためらしい。

「惨事で天国へ行った先輩や後輩、友達の夢を代わりに叶えてあげたいです」(ホン・ジョンテク、5年生)。

「幼い選手を怒鳴りつければ落ち込んでもっと駄目になります。小学生の時は楽しくボールを蹴るようにして夢を育ててあげれば良いのです」(ソン監督)。

惨事を経験した選手の中ではホン・ヨンドン(5年生)だけが残ってサッカーを続けている。惨事の際、肺を痛めた彼はまだソウル漢江誠心(ハンガン・ソンシム)病院で治療を受けている。父親のホン・ダルピョさんは、「息子がサッカーを続けると意地を張って、仕方なく許諾したがずっと気になる」と心配な表情。

一緒にサッカーをやっていた3人はブラジルへサッカー留学に行き、4人はソウルへ引っ越した。8人は精神的、肉体的な後遺症でサッカーをあきらめた。チョン・ハンホ(5年生)、李ギョンジン(4年生)はサッカーをやりたい気持ちは一杯だが、体がまだ完全でなく、精神的なショックも大きくてグラウンドへ行くのを怖がっている。

惨事で息子(ミンウ)を失った金ジョンウクさんは最近もよく運動場に足を運んで息子の姿を思い浮かべる。「サッカー部が再び創団されて、天国にいるミンウも喜ぶでしょう。大きくなるとワールドスターになりたいと言っていたのに…」。

30日、天安小学校の運動場では死亡した選手らの追慕碑除幕式が行われた。



梁鍾久 yjongk@donga.com