維石・趙炳玉(ユソク、チョ・ビョンオク、1894〜1960)先生の生涯を見ると、日帝強制占領期に独立運動の道を歩んだ知識人たちが、どれほど残酷な苦痛を経験したのかが実感できる。11年間の米留学生活を終え帰って来た彼は、新幹会(シンガンフェ)などで独立運動をし、5年間の獄中生活を経験した。彼が監獄で経験した苦痛もひどかったが、釈放後の生活はもっと悲惨だった。彼は回顧録にこのように書いている。「本当に食べ物もろくに無くて暮らしは悲惨だった。恐怖に不安、そして貧しくて飢えた暗闇のような生活が続いただけだった。私の妻は徹夜でミシンをかけ、金を稼がなければならなかった。」
◆維石はこんな言葉も残した。「私はキリスト教信者だ。聖書には敵を愛しなさいと出ている。しかし、朝鮮人の立場で、日本のために祈るということはどうしてもできない。」ところが、ヨルリン・ウリ党の金ヒソン議員が最近、維石を「独立軍を捕まえた刑事」と非難した。親日人士だったというのだ。しかし維石は抗日独立運動に献身した功労で、大韓民国建国勳章を受勲したし、独立後は民主化の象徴とされて来た。もし、そんな彼が親日派なら、これは大変な衝撃だ。真実を解明するためには、日帝末期の行跡をよく見てみなければならないが、親日だった行跡は発見できない。むしろ彼は日帝に対立して最後まで志操を守った人物だった。
◆金議員は自分の言葉が論難を呼び起こすと、光復以後の米軍政時代の行跡を問題視した。維石は米軍政の3年間、警務部長を務め国立警察の礎石を固めたが、その時「親日刑事」たちを要職に登用したというのだ。この問題は以前にも提起されたことで、光復以後のことを親日派の根拠として提示することには無理があるとしか言えない。警務部長在職時代の彼を責める投書が4万8000通に達したというのが米軍政司令官ハージの証言だった。彼が左翼勢力を取り除くのに積極的だったためだ。このように、当時でも評価の行き違う部分に対しては、より愼重な接近が求められる。
◆歴史を書く作業はどんなに大変なことか。誰が歴史を書くかによって、ひどい場合、正反対の結論が出されることもある。証拠を通じて歴史を記述しようという実証主義歴史学も、歴史家たちの根源的限界のため産まれたものだ。まして、複雑に絡んでいる韓国の現代史は、いつも政争と誹謗、攻撃の手段に汚染される危険性を抱いている。金議員は、今回の波紋に遺憾の念を表したというが、すっきりしない。国会議員として正しい歴史観を持っているのかどうか疑わしいし、いきなり何故、維石の話を持ち出したのかも疑問でならない。
ホン・チャンシク論説委員 chansik@donga.com






