外国語で進められる国際学術大会で論文を発表する際、発表者は正確な意味を伝えるために字句一つひとつに注意し気苦労する。国際的なメディアに文を掲載する際はさらに細心の注意を払うものだ。間違った表現による誤解や不祥事を防ぐためだ。外国語に自信があっても可能なかぎり大勢の外国語専門家の助けを受けようと努力する。それにもかかわらず、問題が発生するのが日常茶飯事だ。その場合、責任は全面的に発表者が請け負い、発表者を助けた人々には責任を問わない。
◆国政弘報処がアシアン・ウォールストリート・ジャーナルに韓国言論人をけなす寄稿をした鄭順均(チョン・スンギュン)次長に「嫌疑無し」処分を下した。その代わりにハングルで草稿を書いた海外広報院とこれを翻訳した外信協力官に警告措置を取った。国際会議に1度でも参加したことある人なら納得し難いやり方だ。外国の雑誌や新聞に寄稿をしたことのある人なら到底理解できない。鄭次長の寄稿は、反駁文の性格を持っている。相手の文に対して論理的に対応するため、より的確な意味伝達のため、事前に幾度の議論と熟考を重ねたに違いない。「ミス」や「不注意」による単純な間違いでない可能性が高い。
◆鄭次長は私たちマスコミを度が外れるほどけなし、言論人を政権と癒着して不正を犯す存在として描いた。それなのに、鄭次長と国政弘報処の関係者らは「本意ではなかった」「寄稿文が翻訳されて後、海外広報院の外信課長が送稿して、私は新聞に掲載されるまで見られなかった」という無責任な釈明を発表した。はなはだしくは「定期的にお金の入った封筒を渡しているというくだりで『regularly』は『たまに』という意味で使った」として、英語の意味まで歪曲することが起きた。それなのに政府側が動員した釈明論理が結局現実と化した。誰も責任を負わない格好になったのだ。
◆韓国社会では目上の者が目下の者のミスをかばい、率先して責任を負うことが美徳として崇められてきた。それで目下の者は目上の者を信じて忠心を尽くして仕え、目上の者は保護役の役割を果たしてきた。今度の事態は、国家の広報を担当している政府機関の「間違った」言論観を見せ付けたうえ、目上の者がその責任を部下に転嫁するという「非常識」まで露にした。こうした醜態を国内で見せるのも恥ずかしいことなのに、外国にまで拡大して国家的な信頼を阻害し恥をさらした。「有権無罪無権誘罪」という皮肉が蔓延しないことを望む。
白善璣(ペク・ソンギ)客員論説委員(成均館大学言論学教授)baek99@chollian.net






