サソリと蛙が一緒に川を渡る寓話がある。蛙は絶対毒針を刺さないと約束させてからサソリを背負った。サソリが「君を刺すと私も死ぬのに、私がそうするはずがないじゃないか」と言ったのだ。しかし、川をほとんど渡った時、サソリはいきなり蛙の背中に毒針を刺した。蛙は川の中に沈みながら、なぜこんなことをするのかと聞いた。サソリも溺れながら答えた。「それが私の本性なんだ」
◆サソリはしっぽにある猛毒性の毒針で有名だ。一度刺されたらマヒするか絶命する。サソリが聖書の中では悪とサタンで、文学の中では攻撃と復讐のシンボルとして登場するのもこのためだ。生物学者のロバート・ツリバースは、人間にもサソリのような属性があると言った。あまりに無意味な葛藤も、平気で起こすように運命付けられているからである。進化論からみるに、生存と繁殖のためなら遺伝子は何でもする。他人に害を与えてでも自分に有利であるなら、その子孫は、その憎たらしい遺伝子を持って世の中を平定する。サソリと蛙のようにお互いが死ぬ場合が無くも無いのに。より大きな悲劇は、善意で行った事が葛藤を起こしたりもするということだ。ツリバースは一方の利得が他方の利得と必ず一致するものではないので、人間関係の葛藤は必然的とも言えると言った。
◆サソリが毒を刺す時も、相手によって違うという研究結果が出た。米国のブルース・ハンモック教授によれば、大きな動物を攻撃する時は強い毒で、小さな動物には弱い毒で攻撃することで、エネルギー使用の效率化を実践しているという。その弱い毒で、雌と交尾しながらも、雌を差しつづける。しかし、それは仕方がないことなのだ。そこまでが限界なのだから。交尾が終われば雌が他の80種あまりの動物と同じく、涙ぐみながら雄を食べてしまう。姙娠した雌が苦労して餌を求めなくてもいいように、雄が身をささげて子孫のための糧食になってくれるわけだ。これも人間の世界と似ているのではないか。「家内」は家で子育てに頑張って、「主人」は苦労して働いて家族を扶養するという点で。
◆大半のサソリは争うよりは逃げる方を好み、自分をいじめない限り人を刺さない。アフリカ・マリ共和国の伝説に出るサソリは、「私をいじめる者には死を与える」と言ったが、これは逆に言えば、苛めないでおとなしくいれば殺さないという意味なのだ。反面、人間の世界ではおとなしくしていると、かえって殺される場合が少なくない。攻撃が最善の防御という言葉まである。光速で走り回るような今日この頃、皆が皆、上に上がらなければならないと思っているようだ。何もせずにいては、下りのエスカレーターに乗ったかのように、あっという間に遅れてしまう。こうなると、「サソリの美徳」が羨ましくなる。
金順徳(キム・スンドク)論説委員 yuri@donga.com






