「3ヵ月前まで元気でしたのに・・・あまりにも弱くなったようで胸が痛みます」
30日ソウル逸院洞(イルウォンドン)にある三星(サムスン)ソウル病院の1702号室。92年バルセロナオリンピックのマラソン金メダリスト黄永祚(ファン・ヨンジョ、32、体育振興公団マラソンチーム)監督が、老病で入院している1936年ベルリンオリンピックマラソン金メダリストの孫基禎(ソン・ギジョン、90)翁を訪れた。肺炎の症状で入院して2週間が過ぎても退院できずにいるという話を聞いて、一走りで駆けつけたもの。
黄監督は、鼻に管を入れて横になっている孫翁を見て言葉を失った。「先生はとてもやせていますね。3ヵ月前までは座って食事もされたんですけど・・・」
孫翁は今月14日、入院してこれまで治療を受けている。気力が弱まり、横になって食事をしていたが、気道に食べ物が入り、片方の肺に炎症ができたため。入院してからも食べ物を呑み込めず、軽管流動食事(鼻を通じて胃腸に管をつないで給食すること)でやっと栄養を供給してもらっている。今年だけでもう3回目の長期入院だ。
看護をしている娘のムンヨン(61)さんは、「父さんは心臓が丈夫で、耐えているんですって。普通の人だったらすでに・・・」と涙ぐんだ。ムンヨンさんが黄監督を指しながら「父さん、この方、誰なのか覚えている?」と孫翁に聞いた。すると、孫翁は「当たり前だろう、永祖じゃないか」とすぐ分かった。孫翁は「素質をもっと開発していたら・・・」と言葉を濁した。黄監督があまりにも早くマラソンを止めたことに対して残念がる気持ちが大きかったのだ。
孫翁は黄監督に会うたびに、バルセロナオリンピックの時、マラソンゴールイン地点のメインスタジアムで彼を抱きしめて熱い涙を流した記憶を思い浮かべる。孫翁は当時、本紙に書いた特別寄稿で、「どんな話をしたらいいだろうか。話したいことは多いけど、頭の中が空っぽで、何も思い浮かばない。・・・太極柄を胸につけた選手が一番先に入ってくるのを見た瞬間、私の両足からは力が抜けて、そのまま座り込んでしまった」と打ち明けた。この事がきっかけで、黄監督は、孫翁におじいちゃんのように従う。時間があるたびに、いつも病床の孫翁を訪れるのもこのためだ。
孫翁がふとまた話かける。「ボストンに行った子は誰だったけ。そうだ、李鳳柱(イ・ボンジュ)、鳳柱はどうなったかい」、ムンヨン氏が「李鳳柱が今度の釜山(プサン)アジア大会で金メダルを取ったんですよ」と言ったら、孫翁は満足そうな表情で微笑みを浮かべた。
この日は孫翁の精神がとてもはっきりしていた。ムンヨンさんの話では、普段は少ししてからまた聞くと、誰なのか覚えていないそうだ。孫翁は、体中の気力が弱まって、いつも横になって過ごしている。老マラソーナーと還暦を過ごした彼の娘は、そうした姿を人に見せるのがいやで、最後まで写真撮影を拒んだ。
孫翁の主治医、許(ホ)ウソン腎臓内科教授は、「老病のためにくる症状だ。肺炎の症状は大きく改善した。しかし、これからは座って生活するのは難しい」と述べた。
梁鍾久 yjongk@donga.com






