「母と一緒にソウルに戻るべきだったのでは・・・」
今回の水害で、故郷の江原道江陵市(カンウォンド・カンヌンシ)イブアム洞の実家が水に浸ってしまった韓悳勳(ハン・ドクフン、38、銅雀区舍堂4洞)氏は、ソウルに戻って来る車のなかで、気が重くなった。
水害以降、2回目に訪ねた故郷の実家は、ようやく水が乾きはじめていた。家の代わりとなったコンテナーは、寂しくていられないと言って、親戚の家を転々していた母親ホ・スンジャ氏(64)氏のために、いまだに湿気と匂いが残っている実家の部屋に新しいジャンパン(韓国伝統のオンドルの床に張る厚い油紙)を敷き、壁には壁紙も張った。
韓氏は、およそ40年前に嫁いできて以来この家に住み続けた母親に「そろそろこの家を離れた方が良さそうだ」と言ったが、母親は「わたしに他に行くところはない」と固く断った。
韓氏は「水害で家財などが全部流されてしまった家に母独りでいたら、健康が悪くなるのではないかと思えて心配だ」と言葉を濁らした。
秋夕(チュソック、日本のお盆)連休の最後の日であるこの日、故郷で秋夕を過した後ソウルに戻ってくる大半の帰京者らは疲れていたが明るい表情だった。しかし、韓氏のように、故郷が水害地域である一部帰京者らの帰路は明るくなかった。
秋夕連休をコンテナーの家で、70歳の親とともに過した鄭夏光(チョン・ハクァン、39、仁川市南区朱安洞)氏も惨たんで重苦しい心境で戻ってきた。
鄭氏は先月31日、慶尚北金泉市(キョンサンブクド・キムチョンシ)テドク面ファジョン2里の実家が完全に崩壊したとの話を聞いて、大急ぎで帰り、4日間にわたって復旧作業を助けた。そして秋夕連休となって17日再び実家に帰った。
両親が住んでいるコンテナーでの生活は、水道が連結されていないため地下水を汲んでこなければならないなど不便な点が一つや二つではなかった。お手洗いも不足し、鄭氏はいっそのことと、今回帰省する時に移動式のトイレまで買って行った。
仁川市(インチョンシ)付近の工業団地で働きながら独り暮しをしている鄭氏は、帰京する道で両親を扶養する能力のない自身を責め続けた。
江原道ヤンヤン郡ソ面ヨンチョン里が故郷の朴商守(パク・サンス、37、京畿道高陽市一山区)氏は、5日間連続で独り身の母親(61)と一緒にコンテナー住宅に泊ったが、母親をひとりにすることができず、日程を延ばしてさらに一日泊った。
朴氏は、明け方になると寒くなる天気のために、帰京した後も、母親の健康のことが気になり眠れずにいる。
閔東龍 吉鎭均 mindy@donga.com leon@donga.com






