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[オピニオン] 宗親府

Posted July. 18, 2002 22:57,   

朝鮮時代には、王の親戚の不正に対する処罰が厳しかった。彼らが不正をはたらけば、必ず王に報告するようになっており、殺人犯や強盗犯のように重い罰を受けた。成宗(朝鮮王朝9代王)元年に金チョングァンという外戚が賄ろを受け取っていた事実が明るみになり、こん棒で100回を打たれる刑を受け、下僕の身分に格下げされたという記録がある。また賄ろを受け取って摘発さた場合、収賄者名簿である「臓案」に名前が載せられ、どんなに権力のある王の親戚でも、ここに名前が載れば、その子孫代々まで官職の道が閉ざされる。王の8親等内の親族である議親は、とくに苛酷な処罰を受けたというから、先人たちの厳しい意志に驚かされる。

◆それだけではない。親戚は、政治からも徹底的に排除された。近親であれ外戚であれ、入朝の道がはじめから封鎖された。親戚の政治介入は亡国的な風土であるという認識は、今も昔も同じのようだ。にもかかわらず朝鮮時代中期以後からは、親戚の横行が途絶えなかった。なかでも高宗の即位後、大院君のけん制にもかかわらず、外戚の権勢を振るいだし混乱をもたらした。最高権力者の親戚の腐敗で、国政が乱れる歴史の記録はこの他にも多々ある。

◆韓国の歴代大統領のうち、親戚の不正のくび木から自由な者がいるだろうか。全斗煥(チョン・ドゥファン)大統領は、兄弟やいとこが次々に逮捕された。盧泰愚(ノ・テウ)大統領は、娘の外貨持ち出しの疑いが取り上げられ、金泳三(キム・ヨンサム)大統領は、在任中に次男の賢哲(ヒョンチョル)氏が逮捕された。金大中(キム・デジュン)大統領は、就任前の1998年1月に「国民との対話」でこう約束した。「親戚を厳重に管理する。私に任せて下さい…」しかし、今までに二人の息子と夫人の甥が逮捕された。「国民は心配しなくてもいい」と大口をたたいた大統領が、まさにその問題で国民の前に何度となく謝罪するはめになるとは呆れたことだ。

◆宗親府は朝鮮王朝の王室の一家親戚の問題をつかさどる機関だった。景福宮(キョンブククン)の建春門(コンチュンムン、東門)のすぐ前にあった宗親府は、王子たちを監督し、王室の過失を見つけ出しては糾弾する役割を担当していた。今の政府が、大統領親戚の不正追放方法づくりで頭を凝らしているという。そのひとつとして、専従の不正調査処を新設することも検討中だという。95年前になくなった宗親府が蘇ったような感じだ。しかし、捜査機関がなかったために、これまでに親戚や外戚らが不正をほしいまましていたわけではあるまい。いざ大事なのは、大統領の意志であることを知らぬ人はいない。



bbchoi@donga.com