次第に消えていく2002年6月の歓声の中で、とりわけ強烈に浮かび上がっている人がいる。ヒディンク監督だ。外国人のなかでこんなに深く我々の日常生活に入り込んでしまった人はかつていなかっただろう。彼と直接顔を合わせた人はごくわずかに過ぎないが、彼はもう韓国の人々が最も好きな友人であり、優しい師匠になっている。
偉大なる人物としてたたえられる人には、平凡な人たちが近寄り難い何らかの距離が感じられるものだ。しかし、彼はサポーターの仮面として、ショーケースの人形として親しまれ、さらに韓国チームの勝利を願う少女のハンカチに、赤いシャツを着こなした中年の女性の心に強く刻まれた。
かつて誰がこんな幸せな気持ちをプレゼントしてくれたのか。誰が韓国の人々の胸をこんなにわくわくさせたのか。ヒディンク監督への無条件の歓呼のなかには、彼を「マイ・ウェイ」の主人公として描き出す放送番組のメロドラマ的な感動とは違う何かが潜んでいる。
この「何か」に対する解釈はいろいろある。まず、「リーダーとしてのヒディンク」。き弱な韓国サッカーが短期間で世界の舞台に躍り出たのは、彼の卓越した指導力があったためで、リーダー不在に悩まされている政界を皮肉っている。
第二、「経営者としてのヒディンク」。彼のリーダーシップを企業経営に結び付けることで、グローバル化の足かせとなっている韓国的な弊害を、これを機に根本的に取り除こうとする意欲がみられる。
第三、「親としてのヒディンク」。選手それぞれの持ち味を十分に生かし、ミスを犯しても最後まで善戦を督励する彼の態度は、親世代の心を動かすに十分なものがあった。朴智星(パク・チソン)と車(チャ)ドゥリが彼に抱き締められる光景を話題にする人が意外に多かったのもこのだめだ。最後に、「真のプロとしてのヒディンク」。今年5月のAマッチで韓国チームの様変わりした姿が公開される前は、ヒディンク監督は頑固な外国人監督に過ぎなかった。W杯開幕を数日後に控えて、「世界がびっくりするようなことが起きる」と明言した時にも彼の言葉を疑った。
いわば、彼は世界の強豪チームの実力と、韓国チームの戦力を正確に把握している唯一の人だったわけだが、彼のプロ意識は4強入りを果たす過程で遺憾なく発揮された。
このようなさまざまな解釈がすべて一理あるとされるほど、ヒディンク監督の魅力は多面的なところがある。ところが、自分が感動したのはこれとは違うもう一つの顔のヒディンクなのだ。ヒディンク監督は詩人である。ある人は口達者と表現するが、決勝トーナメントへの出場が決まった時、次の目標を尋ねる記者の決まった質問に対して、「あなたが指定してください」と答えたことや、「僕はまだ腹が減っている」とイタリア戦を控えての勝利を予感させた迂回的な表現、そしてついにスペインを下して4強入りを果たした日、「いっぱいのシャンペンが切実だ」といった彼の短くて濃い感想は、勝利と熱気の瞬間を大切にしようとする詩人の祝詞だった。
彼にとって韓国を離れるか離れないかは副次的な問題である。韓国が「僕の心を奪ったこと」がもっと大事で、自分の金銭的な価値より祖国の名誉のために頑張った若い選手たちの純粋な心がもっと大事である。スペインを大破したことを実感できずにいるサポーターのところに静かに近寄った彼は、韓国式に礼をいった。どうしてそのようなことをしたのか知っている人はいないが、自分の役割はここまでだ、あなたたちがいたために可能だったことを確認させた詩人のメタファーではなかっただろうか。
難局を乗り切った英雄ですらすべての人々に親しまれることは難しい。しかし、詩人は愛されるものだ。神話は現実のものになり、彼は詩を書いた。韓国が彼の心を奪ったのではなく、彼が我々の心を奪った。韓国人が寂しかったためでも、とりわけ情熱あふれる民族だからでもない。なぜだろう。さまざまな「ヒディンク論」が強調するものでもあるが、競争、緊張、挫折、再起などで傷ついた韓国の現実をいやす詩的な感覚、心を託して寄りかかれる哲学を彼から見つけたためであろう。
「何も保障はできないが、誰も恐れる必要のない」自信の回復に向けた険しい道のりを慎み深い言葉で耐えながら歩んできた彼は、詩人だった。






