10年ほど前のことだろうか。中国北京の天安門広場で、裸で戦車に立ち向かった青年を覚えているだろう。無ぼうこの上ない彼の行動と、最近再燃しはじめた中国突風には、ある種の関係があるような気がする。欧州を襲った1968年の学生革命の熱気は、教養層に困難であった90年代を突破する精神的武器を提供した。シュレイダーやブレアに代表される政治家の世代交代は、このような背景によって可能であったのだろう。いかなる社会であれ、革新を図ろうとすれば、反乱を夢見る若い世代が必要なのだ。
韓国で、若年層のし好がマスメディアを占めたのは、ここ数年のことだ。テレビ番組はもとより、広告に至るまで、若者の色彩であふれている。情報技術(IT)産業とマルチメディアの魔力は、若い世代の生活スタイルの中で増幅する。韓国の青年たちの大衆文化が、隣国に渡って韓流ブームを起こすこともうなずける。このような現象から、若年層の底力を読む人も中にはいるが、私の考えは違う。飛び出すアイディアと奇抜な発想は、消費領域に限定されたものだ。文化への耽溺は、熱狂と快楽を頂点に消滅するだけで、未来設計に向けたエネルギーには昇華されない。
この点を断言したくはないものの、最近、筆者が所属する大学の研究所で行った意識調査の結果を分析して、研究陣とともに下した結論である。通貨危機以降、韓国社会は、現実主義化、保守化の傾向へと回帰しているように見えるが、驚くことに、20代がそれをリードしているのだ。成功と出世のために、コネをためらいもなく使い、上役の過ちを、するりと避ける行為は、既成世代と大差ない。成長と物質を重視して、現実的制約を自発的に受け入れる既成世代に抵抗する気概がどこにも見当たらない。韓国の20代が、若年層の特権である理想主義と夢、抵抗と冒険心を失ったのかと思うと、寂しい思いがする。
韓国の若者は、羽をとじてしまったのか。「そうではない」と答える根拠を求めることができなかった。米国の社会学者ロバート・マートンの社会行為の類型の分類によると、韓国の若い世代は「革新主義」から「順応主義」に転換したという。既成世代が作りあげた罠にかかったのだ。
主権回復以降、歴史の流れを変える重要な事件は、すべて若い世代の作品だった。権威主義への韓国の若い世代の抵抗は、世界の若者を覚醒させるに十分であったし、革命への熱情は、世界化の時代に、市民運動の起爆剤となった。男性中心主義の堅い境界を崩したのも、困難な環境の中で、フェミニズムの拠り所を支えた女性戦士たちのおかげであり、なかでも労働者がこれほどの待遇を受けられるようになったのも、70、80年代の労働運動に身を投じた若い労働者たちのおかげだ。彼らは、もはや社会を管理する指導層になったが、彼らが作りあげたことが、たかがこんな程度か、と言えるほどの若年層が現れることを期待する。
経済人口学、または政治人口学的観点から、若い世代の性向は、国運を左右する舵といえる。彼らに経営精神が充満すれば、経済成長を期待することができる。イデオロギーのスペクトラムが広がれば、20年後には理念闘争が終結するであろうし、地縁の馴れ合いを嫌えば、地域葛藤も消滅し得る。しかし、どれもこれも実現は期待できない。
最近の経済危機と就職難が、若い世代の順応主義をあおったのだろう。就職の競争率が、歴代最悪を記録する状況の中、挑戦と革新への夢はむなしいものとなった。このような観点から、若い世代の失業の放置は、一種の罪悪といえる。しかし逆に、これぐらいの逆境は常に存在したことを肝に銘じておくべきだ。既成世代の過ちが多く、力不足であるほど、若い世代の挑戦が激しかったのが、韓国の歴史だ。
ならば、大転換の試みは、誰に期待できるのだろうか。アジアの国々に輸出される文化的耽溺と熱狂の気流が、世代的任務を遂行できない者の羞恥心、または順応主義に向いた者の披露宴のように感じられたなら、韓国の21世紀は暗い。ニーチェの言葉のように、1000の瞳でモノを溶かす力を見せてほしい。かたい甲羅で武装した既成世代に世代間の戦いを宣告してもらいたい。
宋虎根(ソン・ホグン)ソウル大教授(社会学)






