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[オピニオン]教育行政のずさんな実態

Posted August. 31, 2001 10:00,   

数日前、テレビで見た外国移民に関する番組で、はるか彼方の他国で苦労している韓国人移民達が口を揃えて「子どもの教育のためにこの苦労に耐え忍んでいる」と語っていたのは衝撃的だった。

一体この国は、何故、子どもの教育のために親がなんの縁もない国に移民しなければいけないのか。数年前、科学高等学校の生徒達が大学進学のために学校を中退する事態を見て、優秀な生徒達を公教育から追いやる制度の不合理さに嘆かずにはいられなかった。そしていまや子どもの教育のために家族が生き別れする状況まで起きている。

だからといって、この教育制度が情報化時代に必要な創造力を育てているのでもなく、私教育費を抑えたり貧富の世襲を遮断するのに成功したわけでもないことは、様々な統計が物語っている。このように様々な問題が明るみに出れば、担当当局が代案探しに乗り出てしかるべきだろう。しかし最近起きたいくつかの出来事は、教育当局がいまだ目を覚ましていないことを示している。

1つ目の嘆かわしい出来事は、自立型私立高校の試験運営をめぐる教育部とソウル市教育庁の間の軋轢だった。自立型私立高とは、金泳三(キム・ヨンサム)政権時代の1995年に教育改革委員会で初めて提案され、現政権の新教育共同体委員会に引き継がれて議論されており、大統領報告を通じて2002年から試験運営する方向で教育部が進めている事業だ。ところが、ソウル市教育委員長が「中学3年生が受験の重荷を負う『中3病』の復活と私教育ブームを招く」とし、ソウルでは自立型私立高の推薦を拒否するという立場を明らかにし、試験運営の正常な施行が困難となった。

しかし、概して試験運営の目的は、制度のメリットと副作用を見極めるためであるからして、一個人の判断でその結果を予断し、試験運営そのものを阻むのは正しい態度ではない。試験運営を通して制度の短所や長所を観察するのではなく教条的確信をもって直ちに全面施行に突入した過去のやり方が教育に数多くの施行錯誤をもたらした事実を考えれば、反って現制度の問題点を補完することができる様々な改善策を試してみる方がいいだろう。

ところで、先の選挙では自立型私立高の導入を公約として掲げた教育監がはっきりとした理由もなく公約を覆し試験的施行を阻んでいるとは、国家百年の大計を担うべき教育現場も、もはや約束を無視し有権者の顔色ばかりうかがう政界の姿に似てきているのではと疑いたくなる。

もうひとつの嘆かわしいことは、小中高校の1学級当たりの生徒数を35人に減らすために、今後6カ月以内に5220の教室を新設するという教育部の計画だ。もちろん1学級当たりの生徒数を減らすのは、教育効果を高めるために必要なことであり、これまで多くの専門家が主張してきたところでもある。しかし教育専門家らが望んでいたのは、教員も充分に補充され、特別活動のための空間も適切に設けられた状態での1学級当たりの生徒数の縮小であり、今のように「美術の部活」や講堂をなくすことで教室を増やす無鉄砲な学級増設ではなかった。しかも無理に短い時限を定めて強行するのは、ちょうど目的の高地を一心不乱に占領しようとする軍隊的思考を連想させる。しかし高地を占領したとしても、それを守る人がいなければ何の意味もないのだ。

教育投資とは、人的資源と物的資源が相伴ってこそ効果が表れるものだが、増設された学級を担当する教師の補充のめどが立たない状態で教室ばかり増やすのは、目に見える成果ばかりを狙おうとするパフォーマンスの典型だ。このような教育当局の空威張りを許すほど韓国の教育現場に余裕があるのか、移民として祖国を離れ、苦労している人達に一度聞いてみたい。

実際、韓国の教育がこのような状況に陥ったことに対しては、かつて教育制度に携わったり現在携わっている全ての人々が責任を自覚しなければならない。制度の長所・短所を判断する能力が欠けていたり、無責任な世論や国民感情に便乗したり、誤った所信をもって突っ走ったり、或は個人の立身陽明のために問題に気づきながらも気づかぬ振りをしたりした人全てに同様に責任がある。それにしても、未だ政治的理由やパフォーマンス効果を狙って、誤った政策を強行する教育行政家がいるようでは、韓国の教育が立て直されるまで今後どれだけ待たなければならないのだろうか。考えただけでも暗澹とした気持ちになる。

オ・セジョン(ソウル大教授・物理学、本誌客員論説委員)