「テキストがすべてであり、テキストの外側には何も存在しない」。フランスの哲学者デリダの有名な言葉だ。あるポストモダン人類学者はさらに「もしある民族の言語にオルガスムスという言葉がなければ、その言語を使う人たちはオルガスムスを経験できないだろう」とまで極言している。ここまできたらいかにも言語決定論といっていいだろう。つまり、私たちが現実だと信じていることのすべてが言語の産物だ、との主張だ。確かに言葉は言葉だけでは終らない部分がある。言葉は人々の考えと行動に大きな影響を及ぼしかねない。
◆このような影響があってか、最近の政府、政党、企業、学校、利益団体、市民団体など、韓国社会の至るところに話のうまい人が幅を利かせている。話しさえ上手であれば仕事をしなくても仕事をしたかのように見せかけることができ、過ちをおかしても平然として避けて通れると信じられている。その上、話さえうまければ、国会議員や長官はもちろん、それに劣らないポストにつけると思っている傾向もある。このような背景から、主要機関には、必ずといってよいほどメディアコンサルタントを雇って広報に力を入れており、権力の座に居据わっている人たちは彼らの諮問を受けてマスコミに対応する。
◆話上手な人たちの行動パターンをよく見ると、次のようないくつかの特徴が見られる。まず、行動より言葉が先立つ。また、自分に不利だと思われることは最後まで隠したり、話を作り上げてしまう。それでも十分でない場合、言葉を変え、平気で嘘をつく。もしその嘘がばれて窮地に追い詰められても、言い訳をして人に責任の大部分をなすりつける。回りを見てほしい。最近になって、働くことは全く考えず、口先だけで物事を運ぼうとする人が増えている。どうしてこうなるのか。まわりの人が皆そうだからなのだろか。
◆厳密に言えば、言語が現実を構成するのではなく、現実にマッチするかどうか分からない「現実に対する言術」を構成するだけである。その言術が、私たちが実際に体験している現実に合致しない場合、私たちはその言術に対して不信を抱くようになる。何よりも話上手な人たちがでしゃばる世の中の一番大きな弊害は、話下手な働き手の意欲をそぐことではないだろうか。13日に行われる大統領の記者会見を注目したい。
イ・ミンウン客員論説委員(漢陽=ハンヤン=大学新聞放送学科教授)minwlee@hotmail.com






