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教育機会の不平等

Posted May. 24, 2001 10:55,   

グローバル化の荒波と、これに伴う新自由主義の理念が我が社会の至る所に浸透するにつれ、教育についても競争力と効率性という物差しが猛威を振るっている。その結果、教育の公平さに対する社会的関心は後回しになりがちだ。このほど、韓国では教育機会の不平等がかなり深刻化しており、これによって社会的な地位と富の世襲化が進んでいるとの衝撃的な分析結果が出た。しかし、その社会的な影響力は思ったより大きくなかった。

「ソウル大学2000学年度新入生特性調査報告書」によれば、同大学の場合、親が専門職や高級管理職である学生数が急増しているのに対して、生産職労働者や農漁民の子女の入学率は激減する傾向にあるという。このため、高級管理職に就いている人が子供をソウル大学に入れる可能性は、生産職の場合の30倍を超えるという推定値が出た。また、ある調査研究によると、一般高校のソウル大学への進学率はソウル江南(カンナム)地域が最も高く、江北(カンブク)地域のある区の場合、江南区の10分の1にも及ばないことが分かった。さらに、我々を憂鬱にさせるのは、各家庭の学校外教育費の支出がこうしたばらつきを生み出しているという点である。

結局、社会経済的に裕福な家庭で生まれた子供は恵まれた文化環境の中で成長するだけでなく、高額の課外教育のおかげで比較的容易に名門大学に進学することができる。そして、彼らは学歴社会が提供する社会的なプレミアムに支えられ、より早く出世することも可能だ。つまり、貧しい環境の中で生まれ育った人とは出発そのものが違うわけである。

西ヨーロッパの大部分の国では誰でも意志と能力さえあれば、博士課程まで無料で勉強できる。子供の学費のために親が骨を折る苦労を強いられる韓国とは雲泥の差がある。資本主義社会が自らの正当性を裏付けるためには、少なくとも恵まれていない階層の子供たちに対しても教育機会の平等化を通じて社会的な階層上昇が可能になるよう、積極的に道を開いてあげなければならない。そのため、代表的な自由主義国家であるアメリカも大学への入学、就職などにおいて社会的弱者に一定のクォーターを与える「積極的な措置(affairmative action)」を制度化しており、個々の大学レベルでも学生たちの代表性と多様性を高めるために少なからぬ政策を講じている。

韓国では「身分の世襲化」の主因が学歴社会にあることを考えれば、一流大学という看板の持つ不当な社会的特権と特別待遇をなくすことが何よりも重要である。加えて、教育財政の拡充を通じた学校教育の充実化を図ることで、課外教育に対する依存度を減らすことが問題解決の筋であろう。

具体的には、まず貧しい家庭環境の子供に対する奨学制度を拡大し、低所得者層に対する教育費を支援しなければならない。また、情報化社会の到来という時代的な状況を考えると、情報通信関連の情報や技術へのアプローチにおいて、所得階層間の情報格差(digital divide)が生じないよう粘り強くて細心の政策的な関心を傾ける必要がある。課外教育を多く受ける生徒に有利な試験中心の大学入試は当然止めなければならない。しかし大学受験を多様化、特性化する際にも、新しい方式が貧しくても優秀で勉学に意欲的な生徒にどのような影響を与えるかを綿密に点検しなければならない。これと共に、比較的低所得層の子供が多い実業系高校と多様な職業訓練機関、専門大学(短大)の質を画期的に高める上で、政策的・財政的な支援が強化されなければならない。

ここで最も重要なのは、ソウル大学をはじめとする国立大学が自らの役割を改めて見直すことである。今やソウル大学は公共財ではなく、特殊な私的財に近くなっている。生産職労働者や農漁村出身の子女たちにとって「高嶺の花」である大学を国立大学とは言えまい。国立大学というのは、当然基本的な資質は充実しているものの、学費がなくて私立に進学しにくい生徒たちに門戸が開放されるべきである。だけでなく、私立大学で実用性に欠けるからといっておろそかにしている分野、特に人文学などの基礎学問を集中的に教えなければならない。それこそが国立大学の在り方なのだ。

教育を媒介とした身分の世襲には終止符を打たなければならない。「世襲社会」は社会の統合性とダイナミズムを損ない、最終的には競争力を傷つけてしまうということを直視すべきだ。

アン・ビョンヨン(延世大学教授・行政学)