
酒に酔って線路に転落した日本人を救おうとし、歯がゆくも命を失った韓国の若者、李秀賢(イ・スヒョン、26)氏に、多くの日本人が関心を示している。
「勇気ある行為がいつかは忘れられると思うと名残惜しいばかりだ」(40代主婦)
「最近、こんなに感動的なニュースはなかった。国民が感謝状を伝えるべきだ」(70代男性)
日本の新聞社には、こうした手紙が殺到している。日本の各新聞は李氏に対する記事を連日、大きく取上げており、朝日新聞など各新聞が弔慰金の募金口座を新聞の紙面に載せるほど、関心が高まっている。放送も連日特集プログラムを通じて李氏の正義感を集中報道している。
正義感だけでみると、李氏とともに線路に降りた40代の日本人カメラマンも同様だ。しかし比較にならないほど、李氏に対する報道が多い。なぜだろうか。日本人の熱い反応から「韓国の若者」に対する敬畏心を感じ取れる。
「偉い若者を育て上げた韓国に親近感を感じるようになった」(60代男性)
「韓国の若者は他人に最善を尽くす儒教精神を持っている」(70代男性)
「同じ歳の長男の姿を連想しながら、本当に感謝する心情で李氏の死を悔やんだ」(50代男性)
最近、日本では若者に対する大人の世代からの評価は厳しい。大人の世代にとって若者は夢と希望そのものだった。しかし、最近では、その希望であるはずの若者が、他人に対する気配りと国家観まで失い、漂流しているとの指摘が多い。日本社会は李氏の死を通じて自国の若者が失った「何か」を発見したように見える。「李さんの死が日本の若者にとって鏡となってもらいたい」という森首相の話しは日本の大人世代が抱いている心境を物語っている。
普段、「韓日の架け橋になりたい」と話していたとの李氏。彼の夢は悔やまれるが、死を通じて日本に根をおろすことだろう。
沈揆先(シム・ギュャ刀j記者 ksshim@donga.com






