電話が最初に韓国に導入された際の名称は、徳律風というさぞかし耳に馴染まないものであった。ギリシア語の`遠い(tele)'と`音(phone)'の合成造語として、英語の`テレフォン'をそう訳したようだ。1898年、宮中の通信・連絡手段として使い始めた電話は、5年後釜山(プサン)でも通話できるようになった。とはいえ、架設費は高く、普及は遅かった。1970年代だけでも電話は他の国のように極小数の専有物に過ぎなかった。ピアノや車と共に人々に羨ましがられるものが電話であったのだ。
△1980年代の全電子交換器(TDX)の開発と成功は、目まぐるしい通信革命へとつながった。電話の普及率と通話の品質は先進国を追い越す水準にまで上り詰めた。引き続いて、1990年代の移動電話(ケ─タイ)やインターネット時代が幕を上げ、韓国はもう一度素晴らしい躍進ぶりを披露してくれた。1999年末、ケ─タイの加入者が100人当たり50人として日本(44.9人)を追い抜き経済協力開発機構(OECD)諸国の中で7位にランクづけられた。アメリカ、フランスを上回る加入率である。インターネット利用者の割合も日本、イギリスなどを追い抜いたという。
△車も電話の普及を前後にした時期に導入された。高宗(コジョン・朝鮮の第26代君主)の使っていた電話機(エリクソンの製品)と車(キャディラック4気筒)の写真がそれを物語る証憑資料である。開化以来の半世紀は輸入車しかなかった時代だ。大戦後の戦乱期を経験しながら中古修理・組み立て技術が生産に発展して現代、キア(起亜)、大宇(デウ)で車を作り、輸出するに至った。1970年当時、韓国に登録された車数は12万6000台に過ぎなかったのだが、現在は人口100人当たり23台、つまり、4人のうち1人は車を所持しているわけである。
△しかし、驚くべきことは交通事故による死亡率である。OECD諸国の中で韓国の“人口100万人当たり交通事故による死亡者数”が195人として、世界2位である。1位はギリシア(210人)。依然として自動車生産は年に284万台としてアメリカ、日本を追い抜くどころか世界7位に止まっている中、交通事故による犠牲者数が世界トップ水準であることには歯がゆいばかりである。ケータイを持ち歩くのを自慢に思う韓国人。交通事故による死亡率も世界に`肩を並べる'水準であるという歪んだレッテルを取り除く方法は果たしてないのだろうか。






