金大中(キム・デジュン)大統領のノーベル平和賞受賞の知らせを聞いた時、筆者は映画「ベン・ハー」が思い浮かんだ。ローマのメッサラの陰謀によって奴隷にまで転落するが、海賊船との戦闘でローマの艦隊の総司令官を助けた事により、自由の立場になり、最後には戦車の競技でメッサラに勝利し、抑圧されていたユダヤ民族の英雄になったベン・ハー。そんなベン・ハーの姿に金大統領の姿が重なる。いち早く南北和解を提議したため親北容共者という誤解を受け、反民主的執権勢力に脅威的な存在になったため、2回に渡って暗殺の危機に陥り、ついには死刑まで宣告された彼が、大統領に当選したことに続き、ノーベル平和賞を受賞するということは、感動と共にスリルまで感じる。
しかし受賞発表から1週間も経っていない今日の時点で、既に国民の間では不満の声が出ているのは何故か。もちろん心から祝福し、同じ民族の一員として自負心を感じるという点も少なくない。しかしこのことについて無関心であったり、さらには冷笑的に見ている者もいる。「今年受賞したからいいようなものの、今年受賞できなかったら来年中受賞に執着して国政がノーベル平和賞受賞のために動き、韓国情勢は滅茶苦茶になるところだった。」という皮肉がよく聞こえてくる。皮肉を言ったり、祝福する気になれないと言う人々の心情は何なのだろうか?もともと反DJだったからか、それとも‘反改革的’だったからか、あるいは‘冷戦守旧勢力’であるためか?
振り返ってみると、この政府は発足以降‘改革’という名のもと、色々な分野の人々を困難に陥れている。準備が足りない状態で無謀な程一方的に進められた医薬分業は、医者達を敵にまわし、薬剤師からも恨みの声が出ただけでなく、多くの国民を疲れさせた。教員定年短縮により小学校では教員が足りなくなり、名誉退職金まで受け取り辞めていった教員に頭を下げて学校に戻ってもらうなど、需給計画も立てずに事を起したのかという批判が出ざるをえない。その上、年金運用を誤った責任者に対し責任追及はせずに、公務員年金に手を出すとなると、情緒的な反感すら持つようになる。
金融改革にしても、平凡な市民としては納得することのできない部分が多い。前の責任者の言葉と今の責任者の言葉が全く違い、信頼がいかない上に、国民の血税である公的資金の投入が何故そんなに多いのか?口を開けば数十兆ウォン。国民の税金数十兆ウォンが、納税者の立場から見れば‘底の抜けた瓶に水を注ぐ’ようにに使われているようであるが、民刑事的に責任を負ったという人がほとんどいない。国民はいつも政府のカモになり、政策の失敗は蛇が塀を越えるように音もなくうやむやにしてもいいというのか。改革の動機がどんなに良くても、結果が伴わなければ非難を受けるべきである。
社会機構も弱くなった。経済はかなり困難な状態だ。東大門市場、南大門市場に行ってみればよく分かる。「IMFがこれから始まるような気がする。こんなに客が少ないのは初めてだ。」と声を合わせているが、これを大げさだと思っていいのだろうか。京幾道のある公団では秋に入ってから倒産が続いていると多くの人がため息を漏らしている。政権の成績表だと言うことができる総合株価指数は金大中が大統領に就任した時よりも低下している。ノーベル平和賞の薬効はここまで至らないようだ。国民の生活がこのように苦しくなっているため、‘韓半島の冷戦構図の解体’という対政治家的ビジョンのもとで進められた対北協力は、邪心のために‘北にただで与えた’というように受け取られている。
金大統領は幸い、これからは政治に力を傾け、経済を必ず回復させると誓った。信じてくれとまで表現した。受賞直後の初の措置から問題が多く、超法的ですらあったサジク洞(警察庁調査課として大統領府に直属しているもの)チームを解体させた事、また故郷の村でノーベル平和賞受賞記念公園を作ろうとしたがそれを辞めさせた事などは金大中大統領に対する信頼感を高めた。その点は認めながら、国民の注文を少々きつい言葉で伝えたいと思う。ノーベル平和賞を受賞したのであるから、世界的な政治家の中の一人として国際平和と国際外交にまで活動領域を広げるのもよいが、いつまでも浮かれていないで地に足をつけて欲しい。‘歴史的’であれ、‘世界的’であれ、‘民族的’であれ、課題にだけ神経を使うのではなく、国内の山積みになっている課題を全般に渡って、とくに民政経済の見直しに専念してもらいたい。ベン・ハーが戦車の競技で勝者となり、ユダヤ人の英雄となってから初めて訪問したのは、らい病患者の村に捨てられた母と妹だったということを思い出して欲しい。






