ハリウッドの映画は一定の枠組みの中で作られている。映画の中の男女の主人公は皆白人ばかり。彼らは、いずれも二枚目で風采もすらりとしている上に金持ちときている。有色人種は悪党の役柄が多いが、貧しい上にセクシーな魅力もなく、無知な集団として描かれることもある。もう一つの特徴は、西側の世界を正義の集団として、外の世界を悪の世界と見たて、結局西側が勝利をおさめるのである。007シリーズは、こうしたハリウッドの基本的な枠組みが上手く溶け込んでいる代表的な作品だ。
◆ハリウッドの制作者らが、わざと西側の支配イデオロギーを正当化するために、こうした仕組みを採っているかは分からない。しかし、西側が作った映画であるからには、彼らの世界観や価値観が滲み出るのは、いたって自然なこととみるべきだろう。映画は、世界一人気のある大衆文化であり、世界映画市場の80%以上をハリウッド映画が掌握している。このように、現に強大なハリウッドパワーのために、これを繰返し観るうちに、彼らの論理や先入観に同化される可能性も無視できない。私たちは、ハリウッド映画を娯楽として楽しむ一方で、批判的な視点も同時に持ち合せなければならない。
◆007シリーズ最新作「ダイ・アナザー・デイ」が大きな話題を呼んでいる。封切られる前から、すでにインターネット上で「アンチ007キャンペーン」が展開された。北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)を否定的に描き、韓半島の冷戦を煽っているというのが理由だ。映画の上映が始まってから、ある市民団体は映画館の前で、映画をボイコットするキャンペーンを繰り広げた。映画の善し悪しに関する意思表示は、映画ファン全ての楽しみであると同時に権利である。映画を観た者なら誰でも酷評を加える可能性がある。ところが、今回の出来事が、映画の善し悪しを判断するという水準を超えて、不買運動の性格を帯びているとすれば、問題は違ってくる。
◆文化活動を営む上で、最も尊重すべきは「創作の自由」である。文化界が、わいせつな作品に対してまで、法的な制裁が加えられるのを反対している理由は、万が一でも、それによって創作の自由がい縮することを恐れてからだ。「ダイ・アナザー・デイ」に対する不買運動は、まず私たち内部の「表現の自由」を損なう結果を招くことになるだろう。ハリウッドの世界支配イデオロギーに嫌気がさして、この映画に反対するというのなら、果たして私たちはどうなのか、省みる必要がある。私たちの大衆文化の中の数々の作品が、私たちより劣る貧国をどのように描いているかについても見直さなければならない。基本的に、映画に対する評価は、観客の判断に委ねるのが望ましい。「誰が何と言おうと、私は絶対に007を観る」という人たちが、不買運動によって映画館に入りながらも、なぜか後ろめたい気持ちになるというなら、それは横暴としか言いようがない。
洪賛植(ホン・チャンシク)論説委員 chansik@donga.com