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「安重根義士の処刑時間に明洞聖堂で追悼ミサ」の資料発見

「安重根義士の処刑時間に明洞聖堂で追悼ミサ」の資料発見

Posted March. 26, 2002 09:46,   

26日は、中国のハルピン駅で伊藤博文を暗殺した安重根義士が旅順監獄で殉国してから92年になる日だ。

1910年3月26日、殉国する当日、 明洞聖堂では安重根義士を追悼するミサが開かれ、 安重根義士が処刑された後、韓国人の間に安重根義士を追悼する絵葉書が大きな人気を博したことが明らかになった。

安重根義士の研究家である国際韓国研究院の崔書勉(チェ・ソミョン)院長は、当時ソウルで発行されていた日本語の日刊新聞「朝鮮新聞」でこの事実を突き止め、24日東京で開かれた安重根研究会の定例会で発表した。

同新聞の1910年3月27日付は「兇漢安重根は26日、旅順監獄で処刑されたが、京城の仏国教会堂(当時のミョンドン聖堂の名前)では安重根の処刑時間に合わせて安重根を追悼するミサが開かれた」と報じた。

また、安重根義士が殉国してから5日後の3月31日付の新聞には「『忠臣安重根』と名付けられた絵葉書を売る朝鮮人がいて、その絵葉書を先を競って買い求めているにせ者の愛国者が大勢いるが、これは危ない考え方をかき立て、治安を危うくするため警視庁は発売を禁止し、見つけ次第に取り上げることにした」という記事が載っていた。

それから6日後の4月6日付には「この前、発売を禁止した兇漢安重根の絵葉書は平壤(ピョンヤン)で取り上げられたものだけで、すでに300枚を超えており、この地域の学生の中にはこの葉書を買うために店を尋ねる人が多くいて、買ったものの中には額縁を買いたいと思う人々も沢山いるという」という記事が載った。

安重根義士が逮捕され、事情聴取を受ける時である1909年11月11日付の新聞は捜査のために統監府が手に入れた安重根義士の写真について「眉毛が太く、両目は突き刺すように光り輝いており、全体的に鋭い顔つきをしていたが口は硬くつむって…」などと表現していた。

崔書勉院長は「朝鮮新聞は当時、ソウルに滞在していた日本人のために発行していた新聞であり、東京などに本店を置き電文を参考に記事を書いていた他の日本の新聞より内容がより正確であった可能性が高い」とした。また、崔院長は「安重根義士に関する記録はもっと探さなければならない。安重根義士を追悼する行事も重要だが、研究も怠ってはならない」と語った。



ksshim@donga.com