
「(ビートルズの解散は)小さな短剣(little dagger)で刺されたように痛かったが、結局は通らなければならない過程だった。そうでなければ、自分たちを見失っていただろう」
英国の伝説的ロックバンド「ビートルズ」のメンバーだったポール・マッカートニー(84)が、友人であり同僚でもあったジョン・レノン(1940~1980)との間で経験したグループ解散前後の葛藤について具体的に語った。マッカートニーがレノンとの過去について公の場で詳しく語るのは極めて珍しい。
マッカートニーは先月30日(現地時間)、英国の音楽専門メディア「NME」とのインタビューで、レノンとジョージ・ハリスンについて「良い思い出を持っている」としながらも、「グループ末期にはジョンが私を頻繁に批判し、それが大きな傷になった」と振り返った。さらに、「反論しようかと思ったが、すぐに『これは16歳の頃から知っているジョンなんだ』と気付いた」とし、「ジョンらしい行動だと思うと、それほど痛みを感じなかった」と語った。
当時の対立の背景にはマネジメント問題があったという。マッカートニーは義父で弁護士だったリー・イーストマンを支持したが、他のメンバーは実業家アラン・クレインを選んだ。しかし、マッカートニーはクレインとの契約を不公平だと考え、署名を拒否した。これがビートルズ解散の主要な原因の一つになったとされる。マッカートニーは「後になってジョンが『ポールが正しかった』としぶしぶ認めたことが大きな慰めになった」と明かした。
ただ、2人はレノンが亡くなる数年前にはある程度関係を修復していた。今年1月に配信サービス「アマゾン・プライム」で公開されたドキュメンタリー『Paul McCartney: The Man on the Run』でも、「レノンの次男ショーン・オノの誕生後、子育てやパン作りの話を交わしながら友情を取り戻した」と紹介されている。マッカートニーはこれについて、「私たちが共有したのは、ごく平凡でささやかな家庭の話題だった」とし、「それがむしろ穏やかで、その後はもう争うこともなかった」と語った。
今回のインタビューは、先月29日に発売されたマッカートニーの新しいソロアルバム『The Boys Of Dungeon Lane』を機に行われた。アルバムには、もう一人の元メンバーであるリンゴ・スターとのデュエット曲『Home To Us』も収録された。マッカートニーは「リンゴを念頭に置いて書いた曲だ」とし、「(リバプールで過ごした少年時代)私たちは多くを持っていたわけではないが、あの頃を愛していた」と語った。さらに、「ビートルズ時代にはこのようなデュエットをしたことがなかった」とし、「リンゴと一緒に歌う曲を作れたことが本当にうれしい」と付け加えた。
マッカートニーの新アルバムは、5日に発表された英国オフィシャル・アルバム・チャート「トップ100」で初登場1位を獲得した。ソロとしては6作目の首位であり、ビートルズおよびウイングス時代を含めると通算24作目の全英アルバムチャート首位という記録を打ち立てた。
サ・ジウォン記者 4g1@donga.com






