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政治は「成績順」ではない

Posted January. 29, 2026 10:27,   

Updated January. 29, 2026 10:27


昨年末、自らを「保守の本流」と称する元老級の教授数人と夕食をともにした。話題は、「保守を壊した」尹錫悦(ユン・ソクヨル)前大統領と、「自分の足に引っかかって人生を棒に振った」韓悳洙(ハン・ドクス)前首相への糾弾へと流れ、やがて支持率低迷に陥った野党「国民の力」と、韓東勲(ハン・ドンフン)前代表へと移っていった。政権で閣僚を務めた経歴を引き合いに、「共同責任」「裏切り者」といった荒い言葉も飛び出した。政治の世界で、やくざ同士が使いそうな裏切り者論には与しないため、話半分に聞き流していた。ところが、その「裏切り者」という烙印をかつて押された「正しい未来党」系の元議員たちから、最近、よく似た話を聞かされた。

韓東勲氏は、多くの場合、間違ったことを言っていない。ただし、その言葉に見合う支持を十分に得られてはいない。本人もそれを自覚している。「誰かがこう言っていた。『あなたを嫌っている人も、あなたの言葉が間違っているとは言わない』と」。そして「困難な状況で正しい決断をしていると、逆風や反発は必ず起きるものだ」と、自らを弁護する。改革過程での反作用だけが原因なのだろうか。政治では、ファクトに劣らず、あるいはそれ以上に国民の認識が重要だ。表に出る発言と、国民の認識を形作る態度や行動との間に乖離がある。

党内分裂の象徴となった「党員掲示板問題」は、その点を如実に示している。韓東勲氏は、2024年11月に疑惑が提起された後、長く沈黙を保った。20日後にようやく口を開き、感情をあらわにして14分間にわたり放った言葉は、「(匿名掲示板の投稿を)『明らかにしろ』『摘発しろ』と言うのは、自由民主主義政党ではあり得ない発想」というものだった。誤ってはいない。しかし、執行者であれば、自身の問題を「原則」を盾にして防御すべきではない。国民はそこを倫理と考える。

今月、党倫理委員会が除名処分を決めた際に示した「遺憾表明」の第一声も、「明白な捏造であり、政治的報復」だった。その後に続いた「事態がここまで至ったことに(中略)申し訳ない」という言葉は、付録のような印象を与えた。この程度の表明なら、1年以上前にできなかった理由もない。「捏造」と言おうが「誇張」と言おうが、党の調査結果には問題点があった。だが、SNSに2分5秒の録画動画を投稿し、言いたいことだけを言う「セレブ謝罪」を大衆は謝罪とは受け取らない。

張東赫(チャン・ドンヒョク)代表のハンスト局面はどうだったか。大義名分を手にしながら、孤立を自ら招いた。尹錫悦(ユン・ソクヨル)前大統領との決別や、韓東勲氏の除名問題から逃げるための「ラン(run)ハンスト」との批判も出た。少なからぬ人々が、実際そう受け止めた。それでも、絡まった糸を解く契機ではあった。強硬保守とは距離のある政治家たちもハンストの場を訪れ、手を握り励ました。「夫婦げんかをしても、食事はしながらけんかをする」というのが、一般的な感情だからだ。

争いが起きると、韓東勲氏は勝とうとするばかりだ。どんな争いなのかを推し量るよりも、まず本能が作動するかのようだ。同じことが繰り返され、かつては長所だった気質が、今では政治的な拡張性を阻んでいる。時には、負けることが勝つことだと言われる。政治の世界ほど、それが当てはまるところはない。政治家が国民の認識を論破しようとした瞬間、敗北は避けられない。

健全な保守の中で、現時点の張東赫氏を「保守の未来」と呼ぶ者はいない。韓東勲氏については、まだ「保守の資産」と言われている。彼の政治的運命は、早ければ29日に決まる張氏の除名処分にかかっているわけではない。運命を分けるのは、彼自身だ。政治は成績順ではない。もし成績順だったなら、最高の経歴を持つ政治家である安哲秀(アン・チョルス)議員が、とっくに頂点に立っていただろう。今、国民は安氏を見るとやるせなさを感じる。「なぜ政治をやろうとしたのか…」。