
「家は全部焼けたのに、私だけは助かった。家族写真一枚も持ち出せなかった」
1992年からソウル市江南区開浦洞(カンナムグ・ケポドン)の九龍(クリョン)村に暮らしてきた80代の男性は、呆然とした表情で語った。江南一帯が低層住宅地から超高層ビル群へと変貌する中、30年以上住み続けてきた彼のバラックは、一夜にして灰と化した。持ち出せたのは小さなかばんとビニール袋一つだけだった。
16日、「ソウル最後のバラック集落」と呼ばれる九龍村で火災が発生した。消防当局によると、同日午前5時ごろ、6地区のうち第4地区から出火し、8時間28分後の午後1時28分に消し止められた。強風で火勢が拡大し、165世帯258人が避難、180人余りが被災した。
九龍村は1980年代後半に形成された無許可住宅地で、一時は約1万人が暮らしていた。すでに多くの住民が転出し、行き場のない低所得層や高齢者が最後まで残っている。ソウル市は2027年から公共主導で再開発を進める方針を示している。
消防当局は午前5時10分、江南消防署の人員を総動員する対応第1段階を発令し、火勢拡大を受けて午前8時49分には対応第2段階へ引き上げた。出火当初は霧や微小粒子状物質の影響でヘリ投入が遅れ、消火活動は難航した。消防や警察、区役所の職員1258人と車両106台が動員された。
焼け落ちたバラックの残骸が道路を覆い、住宅は鉄骨だけを残して立ち尽くしていた。溶けたボイラーの配管が地面に散乱し、コンクリート製の電柱でさえ鉄筋が露出したまま倒れていた。
最長で40年近くこの地に住んできた住民は、一瞬にして生活の基盤を失った。35年間暮らしてきた82歳の女性は、やせた手で涙をぬぐい、「この間凍った路面で転倒して肋骨にひびが入り、家の中で寝込んでいたが、かろうじて逃げ出すことができた」とし、「服も写真も冷蔵庫もすべて焼けてしまった。何も残っていない」と語った。
20年以上住んできたという62歳の女性は、「日当12万ウォンの飲食店の仕事で生計を立てていたが、体と着ていた服だけで逃げた。貯金もなく、先が見えない」と語った。住民自治委員長のユ・ギボム氏は「38年間で十数回火災があったが、今回が最も大きかった」と述べた。
ソウル市は、九龍中学校に臨時避難所を設け、江南区内のホテル2カ所を一時滞在先として確保するなど、緊急支援に乗り出した。消防当局は、残火の処理が終わり次第、火災鑑識を行い、正確な原因と被害規模を調べる方針だ。
火災の影響で、良才(ヤンジェ)大路の下り3車線が通行止めとなり、通勤時間帯に混乱が生じた。煙は江南区だけでなく瑞草区(ソチョグ)一帯にも広がり、市民生活に支障が出た。瑞草区で勤務する会社員のユ氏は「昼休みになっても焦げたにおいがした。出勤時は煙で視界が白く、マスクが必要だった」と話した。
チョン・ナムヒョク記者 forward@donga.com






