「韓国の女性はなぜ夜明け前にビビンバを食べるのか」と言うタイトルを見た瞬間、思わず唸った。確かに、韓国の女性はなぜ、夜明け前にビビンバを食べるのだろうか。いや、必ずしも夜明けでなくともいい。きちんとした顔をして出席しなければならない席から戻った遅い夜や、「後始末」に追われて疲れ果てた深夜、なぜ韓国の女性は、大きな鉢に山盛りのナムルを放り込み、冷えたご飯をざくざくと混ぜて食べたくなるのだろう。重要なのは「食べる」という行為そのものではない。食べてもいいし、食べなくてもいい。食べたいのに食べられなくても構わない。問題は、この「気分」だ。この気分を知らない韓国の女性がいるだろうか。
2000年生まれの詩人、パク・ユビンの初詩集。その冒頭に置かれたこの詩は、きわめて示唆的だ。「意味のないおかずでできた、暗号化された悲しみ」を、丹念に解読しようとする姿勢には、探究者の覚悟がにじむ。もちろん、「理由に到達する」ことはできない。理由を知る必要もない。ただ、胸をどんどんと叩きながら、無理やりビビンバをのみ込む女たちの姿を、しばし思い浮かべる。それだけで十分なのだ。紙面の都合で詩の後半を紹介できないのが惜しい。ぜひ実際に読んでほしい。まばゆい新星の誕生である。
これは実話であり、ロマンでもある。夜明けは、やはりいい。
何であれ、喉を通る感触が心地よい。何もしなかった昼より、
たたみ切れなかった布団は、せっかちに湿気を含む。
何もできない渇き。私はナムルが食べたい。それよりも
ナムルのように、ひと息で飲み干してしまった方がいい、と思う。
記憶
混ぜることの効用
私たちは精巧な嘘を愛する。言葉のあやだが。
意味のないおかずでできた、暗号化された悲しみ。
ここには、いつも手間が必要だった。判別できない匙の動きを続けながら
女たちはいったい、なぜ灯りの消えた台所の隅にうずくまり
大きな鉢を抱え込んでいるのだろう。
理由に、到達することはできない。
(以下略)
パク・ユビン、2000年~
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