
最近、国内外の市場で苦戦している日産は、追浜工場を2027年末に閉鎖することを決定し、先月15日に発表した。昨年、6708億円(約6兆3千億ウォン)の赤字を出し、存亡の危機に追い込まれ、会社の象徴的な工場まで閉鎖することとなった。日産の「成功」を象徴していた追浜工場は、今や「危機」を象徴する場所となった。
実際、追浜駅周辺の商店街は古く、1軒おきに空き店舗が目についた。駅がある街の中心部でも活気のある雰囲気は感じられなかった。
●東京ドーム36個分の規模
駅からタクシーで5分ほどの距離にある工場へ向かった。70代のタクシー運転手は「以前は駅前に人が多かったが、最近は日産の状況が悪くなるにつれて人々が離れ、地域経済も悪化した」とし、「工場が閉鎖されれば地域経済がさらに悪くなるのではないか心配している」と話した。
同日、工場を訪れたのは、事前に申し込んだ見学プログラムの許可が下りたからだ。ただし工場内部は見ることができなかった。案内する日産の職員は「内部見学は今年6月末をもって中止されました。工場設備の調整を行っているためです」と説明した。詳しい説明はなかったが、やはり工場閉鎖と関係があるようだった。
今回の見学プログラムでは、工場内の見学者用施設「ゲストホール」で日産の歴史と生産過程を説明する映像を視聴し、講義を聞いて、その後自動車の模型を使って駆動原理について説明してもらうという流れだった。案内者は「追浜工場は日産の『マザー工場』です」
と強調した。今日の日産を築いた母体工場という誇りが感じられた。
講義の後、屋外施設の見学バスに乗った。というのも工場の敷地全体は169万9千平方メートルで、東京ドーム36個分に相当する規模だからだ。バスに乗ると案内者は「工場内はもちろん、外部も写真撮影は禁止です。携帯電話はカバンやポケットに入れて取り出さないようお願いします」と注意を呼びかけた。
バスで数分走ると広大な東京湾が見え、工場内の港湾施設が現れた。生産された車をすぐに船に積み込めるこの工場の自慢の設備だ。同日はちょうど新車を船積みする日だったため、専門のドライバーたちが車を次々と運転して船に積み込む圧巻のスケールを目にすることができた。
案内者は「見学に来ても実際の船積み時間と合わないことが多いです。皆さんは非常に運が良い」と話した。場を盛り上げた案内者は「工場内の橋」についての説明を続けた。「工場が広いため途中に一般道路があります。新車にはまだナンバープレートがないので一般道路を走れません。そこで一般道路の上に橋を架けて新車を港まで移動できるようにしたのです」と説明した。
実際に一般道路の上に設置され、工場と工場を結ぶ歩道橋が見え、不思議な光景だった。しかし、主要施設はすでに建設から60年以上が経過している。工場も、港も、橋も錆びつき、色が褪せていた。競争力を失った日産の現実を感じさせた。
●日産、国内販売トップ10車種から消える
大々的な構造改革に着手したものの、日産の危機は現在進行形だ。日産は先月30日、今年第2四半期(4~6月)の業績を公開したが、1157億円(約1兆900億ウォン)の赤字だった。日本国内市場はもとより米国や中国市場でも苦戦を強いられている。
日本経済新聞によると、今年上半期(1~6月)の日本国内の販売台数トップ10の自動車の中に日産の車は一つもなかった。特に日産の主力小型車であり追浜工場で主に生産されたモデル「ノート」は、昨年上半期比で18%減少し4万3308台の販売にとどまった。
同紙は、「日産は2022年11月の『セレナ』を最後に新車を発表していない。販売状況はさらに悪化している」と診断した。このように業績が良くないにもかかわらず人員や設備はそのままなので、工場の稼働率は下がり、経営状況はさらに暗くなっているという分析も多い。
日産のイヴァン・エスピノーサ社長は先月15日の記者会見で「2027年までに国内外にある計17の工場を10工場に減らし、全従業員の約15%にあたる2万人を削減する」と発表した。伝統的に人員削減に非常に慎重な日本の企業文化を考慮すると、エスピノーサ氏の発表は日本国内外でかなりの衝撃的に受け止められた。追浜工場の閉鎖もこの構造改革の一環だ。日産は追浜工場の生産機能を子会社の九州工場に移管し、近隣の湘南工場も2026年末に閉鎖する予定だ。
日産は今後、追浜工場の活用について、電気自動車(EV)を生産する台湾のフォックスコン(鴻海精密工業)とも協議中であるという。追浜工場は10年にEV「リーフ」を量産し、テスラより7年早くEVの量産体制を確立し注目されたが、今では台湾EVの生産拠点に変わるかもしれない状況に置かれているのだ。
日産の経営陣は追浜工場の閉鎖を発表し「非常に大きな痛みを伴う選択だった」と述べた。企業の生存のためには避けられない決定ということだ。追浜工場の正門横にある日産追浜支店のショールームには「頑張れ日産、頑張れ追浜」「日産には力がある。立ち上がれ日産!」などの言葉が書かれていた。日産の生存への切実な思いが感じられた。
●従業員は雇用不安、商店主は地域経済を懸念
追浜工場には約2400人の従業員が勤務している。日産は「2027年末までは従業員の雇用を保障し、今後の計画は労働組合と協議する」と明らかにした。実質的に2028年以降の雇用は不安定な状況となった。
工場前で出会った日産の従業員たちも心配する様子だった。30代の男性従業員は「会社は雇用を維持すると言うが、将来のことは分からないのではないか」と語った。2年後に定年退職を迎えるという従業員は「私はもうすぐ退職するが、若い従業員たちは工場設備が移転する九州に行くべきか、九州で雇用が保証されるのか、心配が多い」と話した。
横須賀地域社会でも懸念する声が上がっている。この工場が地域経済に与える影響が大きいからだ。縮小した地域経済がさらに萎縮するのではと商店主たちも心配している。追浜駅前の美容室スタッフは「日産の従業員がよく髪を切りに来ていた。工場がなくなるなんて心配だ」と語った。そして「台湾企業でもどんな企業でも新しく入って、再び地域経済が活気を取り戻してほしい」と付け加えた。横須賀にて。






