
日本帝国主義(日帝)強占期のベルリン五輪マラソンで優勝した故・孫基禎(ソン・ギジョン)さんの胸に描かれた日章旗を消して報じた東亜(トンア)日報の「日章旗抹消事件」が、「8月の独立運動」に選ばれたと国家報勲部(報勲部)が31日発表した。
日本は3・1抗日独立万歳運動以降、朝鮮人が経営するハングル新聞を許可した。植民地支配の正当性を装う「文化政治」の一環だった。朝鮮総督府は事前検閲で記事の修正や削除を繰り返した。こうした措置は1930年代半ば、日中戦争の拡大に伴い一段と強化された。
1936年8月、ベルリン五輪マラソンで孫さんと南昇龍(ナム・スンリョン)選手がそれぞれ金メダルと銅メダルを獲得。東亜日報は同年8月13日付の記事に表彰式の写真を掲載しながら、二人の胸にあった日章旗をぼかして見えにくくした。さらに同8月25日付では孫さんの胸にあった日章旗を完全に消した写真を報じた。最初は原版写真に絵の具を塗って消したが痕跡が残ったため、銅版に転写した写真に青酸カリの濃液を用いて徹底的に抹消したという。
この事件で日帝当局は東亜日報の販売・配布を禁止し、無期限発行停止処分を下した。多数の記者が連行され、同年末までに東亜日報の社長・宋鎭禹(ソン・ジヌ)、副社長・張徳秀(チャン・ドクス)、主筆・金俊淵(キム・ジュニョン)、編集局長・薛義植(ソル・ウィシク)らが退社。仁村・金性洙(キム・ソンス)は所有株式をすべて手放した。系列誌「新東亜」と「新家庭」も強制的に廃刊となった。
日章旗抹消を主導し投獄された李吉用(イ・ギリョン)記者は、1990年に建国勲章愛国章を追叙された。報勲部は「日帝植民支配への抵抗意思を示した報道人たちの声であり、強圧的統制にどう立ち向かったかを示す重要な歴史的事件だ」と説明した。
ユン・サンホ記者 ysh1005@donga.com






