
「見知らぬ土地で、私がどのように暮らしていたのか、あなたが知りたがっているのはわかる。だけど、あなたにどう理解できるだろうか?…あなたは、私は捕まったのか、ケガをしたのかも聞いた。私はひどいケガをした。ところで、それがあなたにとって一体何の意味があるのだろうか」
1953年の韓国戦争で、北朝鮮や中国軍に捕まっていた一人の米軍捕虜は、祖国に帰る日だけを待ちに待ちながら収容所でこの文を書いた。結局、米国行きの船に乗った捕虜は、祖国で自分の担当専門医から捕虜生活を描写してほしいと求められると、代わりにこの文を渡したという。残酷だった捕虜生活は、言葉で表現できる範囲を超えており、再び思い出して表現できるものではなかったからだ。この捕虜は、「いくら努力しても、すべてのことを説明することはできない」とし、「私が捕虜だったことを、ただ忘れてほしい」という言葉で文を締めくくった。
熾烈で残酷だった戦場を駆け回った兵士たちと、収容所生活を体験した戦争捕虜たちが「尋問室」で見せた姿を記録した本だ。米ウィスコンシン大学歴史学科の教授で、戦争を経験した個人の経験、内面の研究にこだわった著者は、膨大な史料を持って、「生死の分かれ道で、全地球的に広がる地政学を乗り越えていった普通の人々の物語」を追跡した。著者は、この本で独創性が認められ、米国で「天才賞」とも呼ばれる「マッカーサー・フェローシップ」を受賞した。
韓国人なら、幼い頃から少なからず聞いてきたはずの戦争の物語だが、捕虜の観点から見た戦争史は、さらに内密でいたましい。各国の捕虜たちは、戦争が終わった後、国連や各政府の関係者たちと会って、祖国に送還されるのか、残留するのかなどについて質問を受けた。政府は、家族や人間らしい待遇、イデオロギーなどを理由に捕虜を説得した。尋問室で交わされた話を見ると、捕虜たちもみな高貴な人格体であったことに改めて気づく。
巨済島(コジェド)の捕虜収容所で、北朝鮮軍捕虜が米軍准将を人質にして起こした反乱、解放後に米国行きを選んだ北朝鮮軍など、数多くの捕虜の話が盛り込まれている。学術文献としての面貌も備えているが、比較的簡単に読める。戦争の裏面に無数の人間の犠牲や死、涙が隠れているいることが改めて推察させる。
キム・ギユン記者 pep@donga.com






