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年収4億ウォンを放棄した田舎医師「患者を残して離れない」

年収4億ウォンを放棄した田舎医師「患者を残して離れない」

Posted March. 17, 2025 08:53,   

Updated March. 17, 2025 08:53

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「周りからもたくさん引き止められました。しかし、劣悪な環境に置かれた患者たちを手放すことができず、残ることになりました」

全羅北道井邑市(チョルラブクド・チョンウプシ)に住むイム・ギョンス古阜(コブ)保健支所長(68)は6日、東亜(トンア)日報とのインタビューで、地方の保健所で働くようになった理由について、このように明らかにした。

イムさんは、大韓民国の救急医療体系の礎を築いたという評価を受けている医師だ。1994年、順天郷(スンチョンヒャン)大学元碩座教授のパク・ユンヒョン氏とともに救急医療法の素案をまとめた。ソウルで生まれ育ったイムさんが井邑に定着したのは、小さな縁から始まった。33年間勤めていたソウル峨山(アサン)病院を退職し、2022年1月に井邑峨山病院長に赴任したのがその始まりだった。

「地方に来てみると、医療環境がとても劣悪でした。基本的な体系は整っていると思っていたけど…」。イムさんは言った。「全国の障害者発生率は5.1~5.6%だが、井邑は10%に達した」とし、「高血圧や糖尿、高脂血症のような慢性疾患はきちんと管理されなければならないだが、医療施設や医療スタッフが不足し、患者が薬を適時に服用しないなど管理が行き届かず重症へとつながっていた」と付け加えた。

このような現実を目にしたイムさんは、昨年9月に井邑峨山病院長の任期が終わった後も、井邑を離れることができなかった。昨年11月、古阜面保健支所長に赴任した。周辺の人と家族は皆引き止めたが、「国のために良いことをしなければならない」という意志をくじくことはできなかった。イムさんは、「公衆保健医になったら私学年金の受給が停止され、保健支所の屋上にある5坪の部屋で過ごすのも大変だ。厳しいことが一つや二つではなかった」とし、「それでも、私に頼っている患者を置いて去ることはできなかった」と話した。

イムさんは、毎週月~木曜日の4日間は井邑に滞在し、午前9時から午後5時まで診療を行う。時々、高血圧や糖尿、高脂血症のような慢性疾患の重要性を知らせるために、古阜面内の44の村を回りながら特別講演も行っている。医療界の関係者は、「イム所長ほどの経歴の医師なら年収で4億~5億ウォンは十分にもらえる」とし、「それでも月給300万ウォンにもならない公衆保健医の道を選んだ」と話した。

イムさんは、より多くのシニア医師が地方医療に貢献できる基盤が整えられなければならないと強調した。イムさんは、「公衆保健医として勤めれば、私学年金が切れる私学年金法の改正やシニア医師を公衆保健医として採用できる関連法の改正が必要だ」と話した。


パク・ヨンミン記者 minpress@donga.com