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消耗品扱い

Posted March. 12, 2025 08:48,   

Updated March. 12, 2025 08:48

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奉俊昊(ポン・ジュンホ)監督の「ミッキー17」は、多くの喩えを盛り込んだ作品だが、一言で言えば「消耗品」に関する映画だ。そのキーワードは、「エクスペンダブル(expendable)」にある。ミッキー・バーンズ(ロバート・パティンソン)がたまたま志願した職群の名前だ。ひどいサラ金業者に追われてニップルハイム惑星移住プログラムに入ろうとしたミッキーは、これといった技術がなく、何のことかも分からないままその職群に志願する。「消耗品」という意味が物語っているように、ミッキーは消耗されて捨てられ複製される仕事をする。コンピューターを変えて保存したファイルをコピーして使うように、プリンティング(複製)技術で再生されたミッキーの体に記憶が注入される。ミッキーの実験ネズミのような役割は、人間が新しい環境に適応できる技術(例えばワクチン)の開発に使われる。「ミッキー17」は、そのようにして16回死んで17回目に複製されたミッキーだ。

「君は消耗品だ。消耗されるためにここにいるんだ」と叫ぶニップルハイム開拓団のリーダー、ケネス・マーシャル(マーク・ラファロ)は、ミッキーのような存在を人間とは思わない。ただ目的のための消耗品と考えるだけ。そのため、惑星に本来住んでいる生命体も、開拓のために片付けなければならない消耗品に過ぎない。ミッキーのような存在を通じて、映画は人間を消耗品扱いする現実に対する痛烈な風刺とともに、このような現実で人間の尊厳はどのように可能なのかを問う。

奉監督は、特定政治家に対する風刺ではないと言ったが、マーシャルからトランプが思い浮かぶという話が殺到している。関税政策で世界中を揺さぶっているトランプを見ていると、米国の利益のためにどんな他人も消耗品になりうるという気がするのは事実だ。しかし、これは国家間の問題だけだろうか。政治や労働の領域でも、他人を消耗品扱いする視線は常に存在するからだ。

「お前は消耗品だ。消耗するためにここにいるんだ」(奉俊昊「ミッキー17」)