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私的制裁と真の正義

Posted October. 02, 2024 09:38,   

Updated October. 02, 2024 09:38

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「私はお金がないのであって、プライドがないのではない」。この名台詞で記憶される「ベテラン」が、シーズン2で戻ってきた。その台詞に込められたニュアンスのように、ソ・ドチョル(ファン・ジョンミン)刑事は庶民を代弁する。貧しくても、守るべきことは守りながら生きようとする庶民の心がそれだ。それで天人共に怒る罪を犯しても軽い処罰を受けて釈放される者たちの前で、ソ・ドチョルは怒る。「ベテラン」のシーズン1は、強大な金と権力で法の網をくぐり抜ける財閥3世のチョ・テオ(ユ・アイン)をしつこく追跡し、法の審判を受けさせる話で庶民のもどかしさを解消した。ところが、シーズン2は、話の流れが少し違う。社会的公憤を呼び起こしても法の網をくぐり抜け、まともな処罰を受けていない犯罪者に私的制裁を加える「ヘチ(チョン・ヘイン)」という連続殺人犯が登場するからだ。刑事ではない普通の庶民の立場で、ソ・ドチョルの心はそのヘチとそれほど違って見えない。特に、言葉より拳が先走る刑事ではないか。

「私的制裁」は、いつの間にか私たちの社会の新しい情緒に浮上している。法の定義がまともに作動していないという民心が呼び起こした公憤は、「模範タクシー」から「ビジランテ」「国民死刑投票」「ノーウェイアウト」等、様々な私的制裁を素材とするコンテンツを量産した。そして、この私的制裁は実際に犯罪者の私的情報を勝手に公開する方法で現実でも起きている。しかし、正義は簡単なものではない。「殺人は殺人だ」とし、「人を殺すのに良い殺人があり悪い殺人があるか」と尋ねるソ・ドチョルは、ヘチの食い違った正義を正す。満身創痍になって事件を終えた後、ソ・ドチョルが愚痴をこぼす「ああ、大変だ」という台詞は、そのため意味深い。怒りと処断のような単純な選択だけでは話にならず、その過程は決して容易ではないのだ。それが本当の正義ではないか。