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母方の祖母の教えどおり

Posted September. 14, 2023 08:23,   

Updated September. 14, 2023 08:24


西欧文化圏では、黒猫は不運の象徴と考えられる。ところが、セシリア・ボーは「シタとサリタ」(1921年・写真)で、黒猫を主人公のように描いた。猫は、白いドレスを着た女性の肩に上がって正面を見つめている。画家はなぜ、よりによって黒猫を描き入れたのだろうか?

1855年、米フィラデルフィアで生まれたボーは、母親が出産から12日後に死亡したため、母方の祖母と叔母の世話の中で育った。母方の祖母はいつも、「始めたすべてのことは果たさなければならず、征服しなければならない」と教えた。そのためか、ボーは10代の時から熾烈で独立的だった。18歳の時から美術講師を務め、ペンシルベニア美術アカデミーの卒業後は、肖像画家として名をはせた。パリ留学を通じて印象主義を学んだが、自分だけの写実主義を固守し、40歳で母校初の女性教授に任命された。

この肖像画は、41歳の時に描いた原本をフランスに寄贈するため、25年後に描き直したものだ。モデルはいとこのチャールズ・レビットの妻であるセラだ。タイトルの中のサリタは、セラのスペイン語の愛称で、シタは猫を指す。実際、この絵は、印象主義美術に対する応酬でもある。特に黒猫は、エドゥアール・マネが描いた悪名高い「オランピア」を連想させる。正面を堂々と凝視する裸の売春婦と、尻尾を上げた黒猫の性的な暗示のために議論となった作品だ。ボーは、全く違う意味で黒猫を選んだ。親の不在と女という不運に屈しないという意志を、猫の目に投影したようだ。実際、彼女は自らを新女性だと思い、男性中心の社会で画家として成功するために一生独身で暮らしながら激しく働いた。

運良く、ボーは40代ですでに「現存する最も偉大な女性画家」という賛辞を受けた。米国と欧州で展示しながら多くの賞を受賞し、87歳で亡くなるまで筆を離さなかった。祖母の教えどおり、画家としての人生を成し遂げ、肖像画で一時代を征服した偉大な女性だった。