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英国初の女性画家

Posted March. 16, 2023 08:42,   

Updated March. 16, 2023 08:42

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女性画家が少なかった17世紀、イタリアにアルテミジア・ジェンティレスキがいたとすると、英国にはメアリー・ビルがいた。美術を専門的に学ぶこともできず、画家組合であるギルドに属することもできなかったが、ビルは英国初の女性画家となった。どうしてそれが可能だったのだろうか。

ビルは1633年3月、英サフォークの司祭館で生まれた。父は聖公会の神父で、アマチュア画家だった。そのおかげで。幼い頃から絵の描き方を学んだ。18歳の時、織物商人でアマチュア画家だったチャールズ・ビルと結婚した。夫は、妻の才能を高く買った。ビルが専門画家として活動するようになると、仕事を辞めて妻のマネージャーになった。夫は、妻がどのように絵を描き、どんな取引が行われたのか、誰が訪問し、どんな称賛をしたのかまで細かく記録した。ビルは、著述家でもあった。1663年、油絵でアンズを描くことに対する指針である「観察記録」を書いた。出版されなかったが、油絵教育に関して英語で書いた最初の著作の一つだ。

1666年、ビルは、絵を描く家長としてのアイデンティティを表す自画像(写真)を描いた。パレットは壁にかかっており、右手は2人の息子の未完成の肖像画が描かれたキャンバスを握っている。この絵は、夫の肖像画と一対で描かれたもので、二つの肖像画を通じて家族構成員の完全体を見せようとしたようだ。

この時までは、彼は家族や知人の肖像画を練習用やプレゼント用として描いた。1670年代からは、お金を稼ぐために本格的に絵を描き、モデルを慎重に選んだ。画家として良い評判を得るために、尊敬される聖職者や貴族たちを描いた。その後、ビルは収入の10%を慈善団体に寄付するのに十分なお金を稼いだ。

女性は、正式な教育を受けるのも大変だったが、ビルは優れた才能と芸術的環境のおかげで画家になれた。結婚後も、絵の販売だけで家族を養うほど成功した。21世紀にも容易ではない優れた成就を成し遂げた芸術家だった。