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カササギの餌

Posted December. 03, 2022 08:54,   

Updated December. 03, 2022 08:54

한국어

ぎっしり詰まっている詩だ。ここに入っているものを、一つずつ挙げてみたい。美しい文章があり、柿の木と日光と夕焼けがある。空の目である月が昇り、話者も涙ぐんだ目を開けている。そよ風とカササギの餌も欠かせない。こんなに多いものがあるが、ないものが一つある。それはまさに音だ。ここには話し声、すなわち会話がない。詩で聴覚イメージと呼ぶものもない。音のない世の中だが、物足りなさは感じられない。

意味を含む言語は非常に多様だが、私たちはしばしば言語はすなわち音だと考える。ところが身振りの言語も言語であり、目つきの言語も言語であり、心の言語も言語だ。音のある言語は口から耳へと流れるが、音のない言語は心から心へと流れる。時には、言葉にならない言語の方が、より真正性があるものだ。

この詩には音はないが、非音声的言語、つまり心から心へと流れる言語がいっぱい詰まっている。幼い話者は、柿の木の言葉を聞き、夕焼けと対話し、月明かりと受け答えする。今や詩がぎっしり詰まっていると感じる理由が分かる。ここには非常に多くの会話が入っている。夕焼けと柿の木と空とカササギのご飯がどれだけ多く話せるのか、私たちはあまりにも長い間忘れて生きてきた。