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南海の菩提庵で

Posted July. 23, 2022 09:29,   

Updated July. 23, 2022 09:29

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南海(ナムへ)には錦山(クムサン)がある。あそこが美しいという話はよく聞いていた。詩の勉強をする人は、話を人から聞かずに詩から聞く。南海の錦山のことを最も広く知らせた人は、イ・ソンボク詩人だ。彼は、「南海錦山」というとても美しく幻想的な詩を書いたことがある。ところがなんと南海なのに、私たちに南海の詩が一つのみであるはずがない。そこで、今日はまた別の絶唱を紹介したいと思う。南海に注釈のようについていなければならない「南海の菩提庵(ボリアム)で」だ。

錦山には菩提庵がある。南海は韓国の地の一番下の果てで、菩提庵はそこでも一番上にある。だから菩提庵は二重の端っこということになる。さらに行くところがなく、もっと行きたいところもないところだという意味だ。絶頂のような菩提庵で、詩人は願いの代わりに恥ずかしさを考える。この意外な場面で、私たちはしばらく立ち止まる。

健康と合格と昇進のような願いが悪いわけではない。詩人は、人間らしく良い人になりたいという、より大きな願いを持っているだけだ。複雑な俗世を超越したようで、星の下に酔った詩人の姿勢が爽快感さえ感じさせる。これ以上長く言葉を加えることもない。寸鉄殺人がキム・ウォンガク詩人のスタイルだ。魅力をもっと感じたいなら、彼の時調集の「一読」をお勧めする。夏休みすらなかなかいけない複雑な気持ちを涼しく吹き飛ばすことができる。