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胎室の風景を描いた「胎封図」3点、「宝物」指定

胎室の風景を描いた「胎封図」3点、「宝物」指定

Posted July. 01, 2022 09:14,   

Updated July. 01, 2022 09:14

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朝鮮王室で生まれた人のへその緒が奉安された胎室の風景を描いた「胎封図」3点が、宝物に指定される。文化財庁は、思悼(サド)世子の胎室がある山峰を盛り込んだ「莊祖(チャンジョ)の胎封図」を含め、「純祖(スンジョ)の胎封図」と「憲宗(ホンジョン)の胎封図」を30日宝物に指定予告した。

莊祖胎封図は、1785年、思悼世子の胎室がある慶尚北道醴泉郡(キョンサンブクド・イェチョングン)にある鳴鳳寺(ミョンボンサ)の風景を描いた作品だ。絵の中の莊祖の胎室は、山峰が幾重にも取り囲んだ山の中心に建てられており、まるで荘厳な山の保護を受けているようだ。純祖の胎封図は、純祖が1800年に即位して6年になった1806年、彼の胎室を保管した忠清北道報恩郡山内里(チュンチョンブクド・ボウングン・サンネリ)の風景を盛り込んでいる。憲宗即位13年の1847年に描かれた憲宗の胎封図には、憲宗の胎室が位置した忠清南道礼山郡徳山面玉渓里(チュンチョンナムド・イェサングン・トクサンミョン・オクゲリ)の山峰が描かれている。

文化財庁は、「朝鮮王室の藏胎(王子や王女のへその緒を奉安すること)の伝統を示す作品だ」とし、「胎室の姿を描いた胎封図は、ほとんど残っていないので、歴史性のある希少な史料だ」と評価した。朝鮮王室では、子供を出産すれば、男児の胎は出生から5ヶ月になる日、女児の胎は3ヶ月になる日に吉地に埋葬するのが慣例だった。しかし、日帝が1929年、胎室54基をすべて京畿道高陽市西三陵(キョンギド・コヤンシ・ソサムルン)に強制的に移し、原型を失った。


イ・ソヨン記者 always99@donga.com