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芸術の日の光

Posted June. 29, 2022 09:10,   

Updated June. 29, 2022 09:10

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トラウマは衝撃的なことを体験した当事者にだけ発生すると思われるが、世代を越えて継承されもする。作家チョ・ギョンラン氏の『ふぐ』はそのようなトラウマに関する小説だ。

祖母が選択した死が小説の中心にある。30歳だった祖母は、フグ汁をつくり、自分のものにだけ毒を入れて死んだ。その姿を食卓の向かい側で見ていた夫と幼い息子が受けた衝撃は想像を絶する。問題は、それがその二人だけで終わらないところにある。その場にいた幼い息子の娘(主人公)は、ある日偶然にその話を聞くことになる。顔もしぐさも自分が祖母に似ているという話まで。彼女が、誰かが自分に「ついて回っていると感じ始めた」のはその時からだ。一種の精神分裂だ。

少し考えれば話にならない。後に生まれる孫娘までトラウマになるということは非論理的だ。しかし非論理が現実なのだからどうすることもできない。トラウマが恐ろしいのは、そのような非論理のためだ。自殺した理由が何かは、孫娘にはそれほど重要ではない。祖母が選んだ死の方法にただ圧倒されるだけだ。彼女は、病的に祖母のことを考え、同じ方法の自殺を考える。祖母のようにふぐで。

彼女を生きる方向に変えたのは、ある建築家の温かい心だ。「建築が追求する共通の概念」が安らかな居場所だと考える建築家。彼は彼女の心理的な居場所になる。彼にも傷がある。彼の兄も自殺した。彼が苦しまなかったのではない。ただ圧倒されはしなかった。彼は彫刻家である主人公に向かってこう話す。「あなたは芸術家ではないか。表現できるだろう」。自分を押さえつけて圧倒するものを彫刻で表現するよう助言した。トラウマは何か。人間を無秩序の闇の中に押込むものだ。それなら、それから抜け出す道は、その闇に日の光を照らすことだ。芸術がその光であることは言うまでもない。時には。