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「20世紀に贈る歌」

Posted May. 25, 2022 09:14,   

Updated May. 25, 2022 09:14

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低い者の中でもさらに低い人がいる。「ローマ」がまさにその人々だ。ローマと言えば、イタリア・ローマを想起するかもしれないが、流浪の生活を送るジプシーがローマだ。第2次世界大戦で、ナチスがユダヤ人、精神疾患者とともに「解決」しようとした人々。彼らは自らをジプシーでなくローマと呼ぶ。

自らを文明社会と称する欧州は、ローマに関しては文明人の資格を失う。ナチスに犠牲になったユダヤ人の涙は拭きながらも、ローマの人々にはそうではなかった。20世紀は誰の涙なのかによって、涙に等級を付ける野蛮の時代だった。正確ではないが、全人口の3分の1の50万人にのぼるローマの人々がナチスの手で死んだ。しかし、欧州は彼らを慰めるどころか、彼らの家に火を付けて追い出し、重金属で汚染された所に住むようにし、ある所では女性たちに不妊手術をさせた。彼らは、世の中から捨てられた人々だった。それで、ローマの詩人、レクサ・マシは、「20世紀に贈る歌」で、20世紀が彼らにしたことが何かと尋ねた。「私たちの暗い人生に陽の光を持ってきましたか/女性たちの目から涙を拭きましたか」。このような状況なので子どもも子どもらしく生きることができなかった。そのため、ローマの詩人、マテオ・マクシモフは、子どもの声でこのように話した。「同じ年の子どもたちは、愛し合い、遊ぶが/私は泣かなければならない/違うことは、持つものがないから/あなたに涙を売ります」。

ならば、21世紀では変わったか。今でも涙にランクを付けるのは同じだ。例えば、ポーランド人はウクライナ戦争によって自国に集まる難民を歓待しながらも、ローマは冷遇する。人種が違うという理由で、ローマの難民を冷遇するダブルスタンダードは、ポーランドだけでなく欧州全域、いや世界の現実だ。「20世紀よ/あなたは悲しいローマの人々のために何を準備しましたか」というマヌシの抗議が21世紀にも依然として有効な理由だ。

文学評論家・全北(チョンブク)大学碩座教授