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姉のための協奏曲

Posted April. 27, 2022 08:35,   

Updated April. 27, 2022 08:35

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4、5歳ぐらいの少年の目の前に、初めて見る光景が繰り広げられる。1歳年上の姉が急に床に倒れ、体をひねって息切れする。少年は横向きになって、姉を安心させようと声をかける。気の毒な気持ちが少年から流れ出る。姉が話せない状態であることを知らず、姉が発作から覚めるまで声をかけながら体をなでてあげる。

少年は知らないが、分娩予定日を過ぎて生まれた過熟児の姉は、予防接種による脳髄膜炎で永久的な障害を持つようになった。姉は普通学校に通うこともできなくなる。彼は、父親が姉を障害者教育施設に連れて行き、階段で体をぶるぶる震わせながら泣く姿を見て、衝撃を受ける。お父さんが泣く!

そんな記憶を胸に秘めた少年は、大きくなってチェリストになった。大人になっても、姉の面倒を見た。親がこの世を去った後は、なおさらだった。結婚しても、できれば一緒にいようとした。招待された演奏旅行にも、いつも一緒に行った。そういう時は、チェリストの韓国人妻と子供たちが部屋を一つ、彼と姉が別々のダブルルームを使うのがルールになった。

姉は、彼が公演が終わって帰ると言った。「お前本当に上手だったよ。本当だよ」という言葉が彼を幸せにさせた。姉はそれなりに熱心に暮らした。食べて飲むことまで熱心で、止めなければならないほどだった。よく笑い、よく泣いた。彼は、そんな姉が60歳で不治の病気にかかると、姉を連れて両親のお墓にも訪ね、友達にも会って遠足にも行った。姉がチェロ協奏曲を聞きたいと言うと、一人で演奏もした。協奏曲だが、チェロだけで演奏したからといって問題になることはない。

ドイツ人チェリストのユリウス・ベルガーの自伝エッセイ集「露の家」に出てくる話だ。そのような憐憫と愛は、一体どこから出てくるのだろうか。彼の文章を読んでチェロ演奏を聞くと、妙なぬくもりが感じられる。芸術も演奏も人間的なぬくもりを前提とするのだろうか。

文学評論家・全北(チョンブク)大学碩座教授