Go to contents

帰ってもいい

Posted February. 09, 2022 09:01,   

Updated February. 09, 2022 09:01

한국어

子供は、親にとってはいつも子供だ。大人になっても、抱いてあげなければならない大人子供。申京淑(シン・ギョンスク)作家の「パパのもとへ行った」は、そんなパパと娘に関する小説だ。表面的には父親の犠牲的な生き方を巡る感動的で、胸が痛む物語だが、よく見ると、話者であり作家でもある娘が、父親から慰められる話だ。物語が二つの層に分かれるのは、話者のトラウマのためだ。

話者は、交通事故で娘を亡くした。横断歩道の向こう側にいた話者が呼ぶ声を聞いて、娘が左右を気にせず走って来て起きたことだった。それは、カール・ユングがトラウマを定義しながら言った言葉のように、存在が「岩に投げつけられる」経験だった。「絶望で背骨が裂ける」ようだった。話者はこの6年間、そのような絶望の中で生きてきた。

父は、娘のことを思うがゆえに言葉を慎んだ。その間、彼は病気になり、深刻な睡眠障害にもなった。このままでは、いつか正気を失い、何も話せなくなりそうだ。それで、ある日娘に言う。「生きることは、どうしても前に進まなければならないことではない。振り返ってみて、後ろがもっと良かったら、そこに戻ってもいい」。世の中は痛い過去を振り切って前に進むようにと注文するが、彼は必ずしもその必要はないとし、過去がもっと良かったら、その記憶に戻るようにと言う。ただ、不幸な瞬間に対する過度な執着から脱しろという。執着するようになれば、君も大変で死んだ子も「行く手を見失うだろう」。「しがみついていてはいけない。どこにもとどまらないようにしておけ」。

そのことを言う父は内に泣き、娘は外に泣く。娘は、父の言葉を記録に残す。「毎日が死にそうになっても、また違う時間が来る」。遺言も記録として残す。「君が夜道を歩く時は、君の左肩の上に座っているだろう。だから何も恐れるな」。娘は父の言葉を基に、少しずつ絶望から抜け出し始める。作家の言葉通り、「すべてが終わったところでも」人生は続く。