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両親を失いアルバムに「人生」を盛り込んだ、バイオリニストのキム・ウンス氏

両親を失いアルバムに「人生」を盛り込んだ、バイオリニストのキム・ウンス氏

Posted September. 09, 2021 08:31,   

Updated September. 09, 2021 08:31

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7日昼、ソウル瑞草洞(ソチョドン)のコスモスホール。中年のバイオリニストが舞台に立った。ドヴォルザークの「我が母の教えたまいし歌」が彼の楽器から流れた。感情が高まってメロディーを1オクターブ上げて演奏する直前、激情に満ちた演奏者の口からほっとため息が出た。バイオリニストのキム・ウンス氏(漢陽大学教授)のニューアルバム「ダース・レーベン(人生)」の発表現場だった。

妻のピアニスト、チェ・ムンヨン氏と一緒に演奏を終えたキム氏は、「私たちの人生が経験しなければならない喜怒哀楽をバイオリンで表現したかった」と話した。「私にとってアルバムは人生の記録です。一人だけの記録ではなく、人と共感できる話を残すためです」。

2016年に父親を、昨年は母親を亡くした。生と死という避けられないテーマをアルバムに入れたかった。2017年にリリースしたアルバム「憧れ」が彼の「自伝的物語ボリューム1」だとすれば、今回のアルバムは「ボリューム2」だと説明した。

母親が愛したエルガーの「愛の挨拶」を最初の曲にしたかったが、最初の曲は人生の喜怒哀楽を扱ったドボルザークの「4つのロマンチックな小品」に譲歩した。キム氏にバイオリニストになりたいという動機を吹き込んだ「パラディス:シチリアーノ」(実際はバイオリニストのダーシュキンの曲)もアルバムに入れた。

演奏者としての人生は順調ではなかった。2004年、スペインの「マリア・カナルス・デュオソナタ」部門に結婚したばかりの妻と一緒に出たのも、生活費が足りず、賞金が切実だったからだ。1位の賞金3000万ウォンを手にしたが、その年と2006年、相次いで顔面麻痺に見舞われた。夢の舞台であるベルリン・フィルハーモニーでベルリン・シンフォニー・オーケストラと共演した直後、キャリアが伸びていく時期だった。2006年に14回に予定されていたロシア巡回演奏もキャンセルしなければならなかった。

2012年に帰国し、漢陽(ハンヤン)大学教授になったのも、「父が事業に失敗し、両親の面倒を見なければならなかったからだ」と淡々と打ち明けた。アルバムに入れたルトスワフスキーのスビト(イタリア語で「突然」「すぐ」という意味)にも、人生がもたらす予測できない突然さの意味が込められている。

キム氏のバイオリン演奏は、20世紀初・半ばの伝説的名人らが持った暖かい音色を連想させるという評価を受けている。キム氏はロシアのヴァイオリニスト、ダヴィッド・オイストラフ(1908~1974)をロールモデルに選んだ。「彼のドキュメンタリーに、隣の少年が『昼夜練習していて、寝ていないと思いました』と話すシーンがありました。そのように芸術に献身する人生を生きたい」。

24日はソウル芸術の殿堂IBKチャンバーホールで、アルバム発売記念コンサートを開く。人生と芸術のパートナーであるチェ・ムンヨン氏のピアノとともに、アルバムに載った作品とヤナーチェクのソナタ、モーツァルトソナタ21番などを演奏する。

キム氏は、「ヤナーチェクのソナタは死を扱い、モーツァルトのソナタ21番は母が亡くなった直後に書かれた作品だ」と話した。「いろんなことを経験した後は、いつも『終わり』を思い出します。私が一番うまくやりたい演奏は最後の演奏です。そのために練習をします」。


ユ・ユンジョン記者 gustav@donga.com