Go to contents

旧友を懐かしむ、芝薫へ

Posted May. 08, 2021 08:10,   

Updated May. 08, 2021 08:10

한국어

5月は出会いの月だ。出会いを喜ぶ理由は、別れることが難しいためだ。年を取れば別れが容易になると思ったが、そうではない。練習すれば別れが上手くなると思ったが、そうでもない。それで、出会いを簡単に喜び、別れは難しく、悲しむ。出会いと別れの間にある感情を懐かしさと呼ぶ。懐かしさは、出会いと別れの間が遠ければ遠いほど深まる。それゆえこの世とあの世の間の懐かしさほど深いものはない。

しかし、ある詩人は違ったことを言う。詩人の朴南秀(パク・ナムス)は50代で米国に移住した。店を開いたという。手では小銭を数えても、心は韓国に置いてきたことがここに表れている。詩人は若くして亡くなった詩人の趙芝薫(チョ・ジフン、1920~68)を考えてこの詩を書いた。そして米国から韓国に送る原稿の中にこの詩を入れた。だが、実際はこの作品は米国から韓国に送った詩ではなく、この世からあの世に送る手紙なのだ。

朴南秀はここに生き、趙芝薫はあそこ生きても、彼らは別れたのではなかったという。朴南秀が日本で暮らし、趙芝薫がソウルで暮らしても、朴南秀がこの世に生き、趙芝薫があの世に生きても、彼らは別れたわけではなかったという。このような話は、世の中の人は信じないが、詩は信じる。信じることができるから詩なのだ。

5月は出会いの月だ。さらに5月は別れの月でもある。出会いと別れの間を懐かしさが満たし力に余るなら、この詩を読んでみよう。私たちは永遠に別れているわけではない。