春は花から始まる。レンギョウは始まりを知らせる花で、桜は爆竹のように一時的に咲いては落ちる花だ。次の打者であるツツジは、4月を経て5月まで咲く。赤い花は、春の終わりまで咲き乱れるだろう。特にツツジが好きな方には、この頃読む本として、姜小泉(カン・ソチョン)の長編童話「ツツジ」がお勧めだ。童詩に上手な方が、童話も上手だった。
周辺では、花の写真を撮る人もよくいる。いたずらっ子以外は、花を折ろうとはしない。床に落ちた桜の花びらを片手いっぱいに集めては行っても、枝ごと折ろうとする人はいない。こうして見ている心が、愛する心であることを私たちは花の前で学ぶ。傷つけることのない心が、愛する心であることも、我々は春から学ぶ。
花、春、愛。この3つの組み合わせが、愼達子(シン・ダルジャ)詩人の詩「花」に満ちている。詩人は君を見つめている。近すぎないように、しかし遠くもない距離から眺めるだけだ。いつまでも見守っていることは、心を育てるという言葉。愛は目から始まり、心へと移っていく。その愛が満ち溢れると、詩人は「花」と表現する。これぐらいになると、君が花なのか、花が君なのか区別が無意味になるほどだ。
街中で花が咲き乱れると、心も晴れてくる。これは日差しと春の祝福だから、存分に楽しもう。花を見て思い出す人がいるなら、それがまさにあなたの花であり、愛である。春が終わる前に、目に入れて心に留めて無量に咲かせることだ。